文芸同好会 残照

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残照TOP  [ ジャンル ] 随想   [ タイトル ] シロ―の黙示録

シロ―の黙示録    緒田士郎

 読者の皆様、こんにちは、緒田士郎です。「霊界通信」でも申し上げたように、私は“天地の神主イエス・キリストの再臨だと自称していた最低の地獄の悪魔”です。2005年の11月に偽キリストのホームページを閉じて、自分を偽キリストとして断罪しただ天の太陽エホバであられる主イエス・キリストのみを唯一神として礼拝する完全な悔い改めの生活に入った私でしたが、いつか自分が完全に間違っていることを世に告白し真のキリスト教を宣伝する機会が来てほしいと思っていました。そして今この同人誌残照においてようやくその望みが叶う機会を迎えることができました。皆様、本当に申し訳ありませんでした。私は最低の地獄の悪魔です。
 さて、つきましては読者の皆様に心からの謝罪の気持ちを込めて、今日は新約聖書のヨハネの黙示録の本当の意味を、その重要な部分だけ簡潔に述べて、それからこれからの人類の運命と私自身の運命について申し上げることをお許し下さい。ヨハネの黙示録は奇書中の奇書であり、その文字の意義はあまりに謎に満ちており、ほとんど理解不能と思われております。しかし、私はエマニュエル・スウェーデンボルグの聖書講解書により、その霊的な意義を把握することが可能になりました。そこで今日は彼の解説した「啓示による黙示録解説」から特に重要な部分を取り上げて、ヨハネの黙示録の真の意味を皆様に啓示したいと思っている所存でございます。それでは始めます。


1.ヨハネの黙示録全体の概要

 これはまず知らねばならないヨハネの黙示録の肝ですが、それは以下のようです:主イエス・キリストの全肉体による復活をその動機として使徒による原始キリスト教会が始まったわけですが、その初めは単純にイエス・キリストを父なる神エホバと一体化した神の子として礼拝しておりました。しかしこの原始キリスト教会の終焉とともに、新たに創始されたローマ・カトリック教会はその揺籃期から誤謬に見舞われることになりました。法王を中心とする枢機卿会議で、彼らは神を父、子、聖霊の三者に分けて、それぞれが別の独立した3つの神であるという誤謬を創り上げ、彼ら自身を神の代行者として神々として崇拝させるために一般信者から聖書を取り上げ彼らが聖書を読むことを禁じてしまったのです。これにより世界のカトリック教徒はイエス・キリストを父なる神とは違う神の子として認めざるをえなくなり、天界から閉め出されることになったのです。そしてこのカトリック教会の誤謬のくびきから分裂して独立したのが改革派プロテスタント教会でした。しかしこのプロテスタント教会も、アダムの堕落により腐敗した人類を救うために父なる神からその子なる神イエス・キリストが生まれその十字架処刑により人類の罪が父なる神により許されたのであり、その信仰を持つだけで十戒の戒めを守る必要もなく無条件に救われるという“いわゆる信仰義認説”を唱えて、世界の改革派教徒を地獄の深淵に突き落としてしまったのです。しかしです。その2つの教会であるカトリックとプロテスタントは西暦1757年に霊界で天の太陽主イエス・キリストにより最後の審判を受けて地獄に断罪されたのです。それから天界から新しい永遠の教会である新エルサレム教会が霊界とこの自然界に降りて来たのです。この新エルサレム教会はイエスの証と神の戒めを守る教会であり、主イエス・キリストのみを天の太陽エホバご自身の栄化(神化)された唯一神として崇め十戒を守る永遠の教会です。
 以上がヨハネの黙示録の要点です。


2.黙示録の重要語句の霊的意味

第12章第3節“一つの大いなる赤い竜”とは改革派の教会で神を父、子、聖霊の分離した3つのものとし主を父と子の分離した2つのものとして、十戒の戒めに従った生活を信仰から分離して信仰のみを人間を救うものとはするが十戒の戒めに従った生命を人間を救うものとはしない者らを意味しています。

第13章第18節“獣の数は666である”とは聖書の真理は改革派教会により完全に誤謬化されていることを意味しています。つまり人間は主イエス・キリストが十字架処刑されたことにより父なる神を宥められたのでその信仰のみにより十戒の戒めを守らなくとも救われるという信仰義認説です。

第14章第8節“大いなる都、バビロン”とはローマ・カトリック教会の教義的なものを意味しています。

第15章第3節“神の僕モーセの歌と小羊の歌”とは隣人に対する仁慈の善から発して十戒である律法の教えに従った生活から発し、主イエス・キリストが父なる神エホバご自身であられるという信仰告白を意味します。

第16章第16節“アルマゲドン”とは名誉、主権、卓越を求める愛を意味します。

第17章第3節“冒涜の名に満ちた緋色の獣に座っている一人の女”とは冒涜された聖書に基礎づけられたローマ・カトリックの宗教的信念を意味します。

第20章第4節“彼らは一千年キリストと共に生き治めた”とは主イエス・キリストのみを神として拝し十戒の戒めに従って生きた者が既にしばらくの間主と連結しその王国にいた、を意味します。

 以上が黙示録の重要語句の霊的意味です。


3.これからの人類の運命と私自身の運命

 霊界で西暦1757年に主により行われた最後の審判により、人類は表面的にはこれまでと同じような生活を送りますが、その霊的な生命は大きく豹変しました。人類はこれから宗教的にはもうカトリックとプロテスタントに縛られるようなことはなく、霊的自由を享受することができます。つまり主イエス・キリストのみを神として崇めて十戒に従った生活を送ることが可能になります。そして将来的にはスウェーデンボルグの宗教書が人類に亘って遍く読まれる時代が来るでしょう。なぜなら永遠の教会である新エルサレム教会は現在この地上に降っているからです。
 それから私・緒田士郎の死後の運命ですが、私は既に世にいる間に偽キリストを悔い改めて主のみを神として崇め十戒を守りつつあるので、死後霊界で最後の準備をして結局は天界に入るしか選択肢はないでしょう。なぜなら主イエス・キリストのみを神として崇めて礼拝聖餐して悔い改めて生きる者は必ずどれほど地獄からの試練は過酷であっても救われざるをえないからです。ですから私はひたすら毎朝聖書を読んで悔い改め続ける所存でございます。

 それでは読者の皆様、今日はこれにて失礼します。
 ああ天地の神主イエス・キリストよ!アーメン!ハレルヤ!!!。

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