文芸同好会 残照

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残照TOP  [ ジャンル ] 小説   [ タイトル ] 幸せの踊り

幸せの踊り    ロマンティカ浜崎

「つまりね、愛してるだけなの、両者が互いを。愛されてるということには互いに無頓着、しかも別に欲してもいない。言ってみれば純粋よね。そこには打算がないんだから。だからこの話はよりロマンティックに聞こえるの。そういうわけで、理想的な愛は、互いが主体的に愛するということ」
「でも、誰もがそんなにロマンティストではない」
「そういう人間は、打算的な愛しか知らないのよ。つまり・・・・・・、ねこ並みよ。あなたはそんなのを愛するの?」

夜の公園で、ギター弾きの少女とニヒリストの男が交わした会話より
                         (ウィル・ビーイング『未完成』第六章)

   *   *   *
 
  バルセロナ風の日射し 丘のうえ
  赤いいばらに囲まれた 宮殿
  いつのころからか踊り狂う こいびとたち
  人は羨ましげにこう呼んだ 幸せのタンゴ
 
  愛しあうほど激しく 舞うふたり
  永遠の若さ 永遠の死
  いついつまでも続く ムーヴメント
  人は無邪気な夢を募らせた 幸せのワルツ
 
  痛いほど恋焦がれ やみくもに口づけする
  熱いわがまま どうぞお好きに 何も欲しくない
 
   *   *   *
 
 雲の上、天界の、お城にごく近い屋敷の中で、私の体は、呪いの魔法のために、かれこれもう一○○年ほど、勝手に踊り続けています。私は朝から晩まで一睡もせず、ひと口も食事を摂らず、ボロボロになった屋敷の広間で、無意識にステップを踏み続けています。一刻も休まることはありません。呪いの力は体をつねに舞わせます。長い時間踊っているため、筋肉が驚異的に発達して、腕や脚は丸太のよう、腰回りはまるで徳用の樽みたいに太くなっています。その大きな筋肉の中に、私は一体の白骨を抱きかかえながらステップを踏んでいます。私と白骨は、手をくみ足をくみ、ワルツやルンバを繰り返します。白骨は死んでいるので自ら動くことはありませんが、私が手足をつかんでいるので、まるで生きているように踊ります。時折白骨は、頭蓋骨と、その下のゆるんだ顎の骨をカチカチ打ち鳴らして唄います。今でも、私と白骨のふたりは共に踊り続けています。
 
 一○○年ほど前、私はあるひとつの失敗をしました。それが、この「呪いの踊り」のはじまりでした。
 
 当時、私は神の国ヘブネリアの御主人様の屋敷の料理長で、厨房の全てを任されておりました。たくさんのコックを使って、御主人様のお食事を用意するのです。それはとても名誉な仕事で、私はこの仕事をつとめていることが自負でありましたし、私より一○も若くて、素朴でほのかわいい妻も、我が事のように喜んでいました。毎日最高の食材を調達し、腕利きのコックたちに指示をあたえ、時に自分もナイフを持ち、舌で味を吟味し、これ以上は無いという食事をつくりました。いつも私は「きのうより良い仕事をした」と思うくらい、一生懸命つとめていました。時に妻は、私が仕事人間でありすぎることに、むかっ腹を立てたりすることがありました。無口な彼女が怒るということは、滅多にないことでした。けれども私は、妻だってきっと私の仕事を理解してくれているはずだと、勝手に思い込んでいました。妻が実は心の底から淋しがっていたというのは、あとになって判ったことです。とにかく私は職人気質だし、自分の仕事に絶大な自信があったので、夢中になってヘブネリアの御主人様のお食事づくりにいそしんでいた、というわけであります。
 ある日のことです。滅多に外出などなさらない御主人様が、めずらしく狩りにお出かけになるということで、私は臨時にお弁当づくりを任されました。なぜ突然狩りなんかに、と思い、御主人様の側近の、私のごく親しい方に訊ねますと、なんでも御主人様の奥様がおひとりで実家にお帰りになって、恐妻家の御主人様がいたって御機嫌になり、それで、好きなことをのびのびやりたいとお考えになって、狩りに行くことになった、という事であります。私は御主人様の歓びを察しまして、その側近の方に「お弁当に何かご注文のメニューはございませんか」と、尋ねていただきました。すると、御主人様は赤身たっぷりのベーコンがお望みだということでした。私は冷蔵庫から、とびっきりの、ばら色の上ベーコンを取り出し、素晴しいお弁当づくりを開始しました。他にも雑事を多くかかえて忙しい最中ではありましたが、御主人様が私のつくるお弁当をお望みであるというそのお心に、多忙さも忘れ、全身を歓喜にうちふるわせながら、弁当箱の中に全ての神経を集中させました。まもなく、できあがりました。私はまた「いつもより良い仕事ができた」と確信いたしまして、側近の方にお弁当をお預けしました。ここまでは、何もおかしなことは、ございませんでした。
 その日の晩のことです。私は厨房の片付けを終えて、ひとりそこでコーヒーを飲んでおりました。すると、御主人様の家族のお部屋から、さわがしい声が聞こえてきます。たまたま厨房の近くを歩いていた例の親しい側近の方に、何があったのかと尋ねますと、彼は苦笑して云いました。「奥様がさきほど実家からお戻りになって、御主人様が昼間、屋敷の表に出られたことを知ったのさ。御主人様は狩りに行ったとおっしゃるのに、奥様は愛人のところへ行ったんでしょうと云ってきかない。それでもめているのさ」御主人様も大変だ。あの奥様ときたら。私は深い同情を心のうちに宿しました。すると、突然厨房に、奥様の侍従の方がバタバタといらっしゃいまして、「おい、料理長。御主人様がお呼びだ」とお知らせがありました。果たして何のご用だろう、お弁当のお褒めだろうか。私はいろいろ空想しました。とにかく行かなくてはならない。私はお招きの侍従の後について、御主人様の家族のお部屋に、おそるおそる足を踏み入れました。
 御主人様と奥様は、同じ長椅子に向かい合ってもたれ、互いの顔を見つめておられました。おふたりは私に気付き、しばらくそこに立って待っているようにおっしゃいました。御主人様は眉を八の字に寄せ、不機嫌そうに逆八の字眉をしてらっしゃる奥様に向かい、やさしいお声でおっしゃられました。
「ヘラよ。わしは本当に狩りに行ったんじゃ。この者がその時の昼の弁当をつくってくれた。なあ、シェフよ。おまえがあの弁当をつくってくれたんじゃよなあ」
「はっ。左様でございます」
 私は、御主人様が「つくってくれた」とおっしゃってくださったことに、天にいながら天にも昇る気持ちになりました。
「ほれみい、ヘラ」」御主人様は、安堵の様子で奥様の方を向かれました。「こなたが証人じゃ」
「きいーっ! 悔しい!」奥様は憤っておられました。「では、あなたはたしかに狩りに行ったのですね」
「そうじゃ」
「ああ、わたくしは間違っていたのかえ? ああ・・・・・・。今度はわたくし、あなたとの『言い合い』に負けたのが、凄く悔しいわ」 「馬鹿な。わしは怒っておらんし、今のわしとおまえの『狩りに行った』の『愛人のところへ行った』のなんて、『言い合い』でも『議論』でも何でもないから、勝ち負けなどありはせぬことじゃが、」
「しかし、しかし、ねえあなた、わたくしはこの憤りを、くやしみを、抑えることができませんわ!」
 奥様はこめかみに、蝶の羽模様のように遠く透き通った青筋をたてて、だいぶ鼻息を荒くしていらっしゃいました。御主人様はそんな奥様をご覧になって、思案顔でいらっしゃいました。
「じゃあ、おまえの憤りを鎮めるには、どうしたらよいのじゃ」
「あの者です! あの者さえ証人にならなかったなら、あなたはご自分の無罪を証明できなかったはずです!」
 そう云って奥様は、怒りの眼光とともに、青く塗った人差し指の爪を、鋭く私の方に向けられました。
「あなた、この者に呪いを、呪いをおかけください!」
「なんじゃと?」
 私は「呪い」という言葉の恐怖に震え上がり、御主人様は開いた口が塞がらない有様でした。
「この者が弁当をつくったと云わなければ、わたくしはまだずっとあなたを中傷し続けることができたのです。ああ、もうこんな男の顔は見たくもありませんわ」
「何を云うんじゃ。この者は任された仕事をこなしただけじゃ」
「ふん。いやよ。だんだんあなたの顔も見たくなくなってきましたわ」
「じゃあ、何か、この者に咎はなかったかなあ・・・・・・」
 御主人様は目を閉じ、眉間に皺を寄せ、なにやら思い返しているご様子です。御主人様は、私のお味方だと思っていたのに。わたしはあなたの無罪を証明して差し上げたのに。
「あ、そうだ。シェフ」
 私はビクリとしました。「な、何でございましょう」
「今日の頼んだ弁当な、赤身たっぷりのベーコンと云っておいたはずなのに、ちょっとだけ脂身が混じっておったぞ。これは汝の咎である」
「ひっ・・・・・・」
 そんな、むちゃくちゃな、私は困惑しました。そもそもまったく脂身のないベーコンなんて、そんなものありえない。けれども、ここはひとつ丸く収まって欲しいので、敢えて何も申し上げませんでした。
「済まんが」御主人様は厳かにおっしゃいました。「罰をうけてもらう・・・・・・。牢獄二日だ」
 おお、やはり御主人様は私のお味方でした。それを知った私は、心の内こそ安心しましたが、奥様の手前、申し訳なさそうな表情を浮かべ、深く頭を垂れました。すると、
「そんなの、つまんないわ」
 奥様が怖い顔をしておっしゃいました。
「甘すぎるわ、たった牢獄二日なんて。ねえ、この者を、永久に踊らせてちょうだい」
「なんじゃと?」
 御主人様は絶句してしまいました。しばらく黙りこんだまま、奥様のよこがおを見つめておいででした。私はその時、ある恐ろしいことに気付きました。御主人様が、わずかに楽しそうな笑みを浮かべていらっしゃるのです。奥様の戦慄すべき提案を、興味深く感じていらっしゃるのです。やがて御主人様は奥様のよこがおから私の方へ、視線をおうつしになりました。私は御主人様のお顔を拝しました。瞳の奥から、ずうっと遠く、夜空の星を見るような目つき。白髭のえくぼに吸い込まれそうな、薄い二枚のくちびる。ああ、猟奇的殺人者の顔だ!
「ヘラよ。そなたがそう云うのなら、そういたそう」
 
 こうして私は、弁当のベーコンにちょっとばかり脂身をいれてしまったという、罪としてはとうてい信じ難い罪で、自宅に帰らされ、永久に踊り続ける呪いをかけられてしまったのです。私は自分のこんな残酷な運命に、涙が止まりませんでした。死のうにも死ねない、生きている気はしない、何が天界だ。むしろ、究極の不条理地獄でありました。
 けれども、私の体には踊りの呪い以外にも、効果的な呪いがかけられていました。私は眠気や食欲を感じなくなっていたのです。おそらく、御主人様が私を哀れんで、かようにおとりはからいになったのでしょう。私は屋敷の自分の部屋で二、三日踊り続けていましたが、何の眠さも食い気も感じませんでした。だからといって、衰弱することもありません。これで一応、神経的には健康なままでいられます。しかし、手足は、筋肉が固くなって棒のようになり、皮膚は痺れて濁った白色になりました。全身に、鋼鉄の鎧をまとっているかのような、そんな疲労と重量感のまとわりつきを感じました。

 妻は、というと、常に私の目の前で、私の踊りを見ていました。食べながら、寝ながら、本を読みながら。入浴と着替え以外は、すべて私の傍らにいてくれました。ヘラ夫人とは違い、若く純朴でもの静かな彼女は、いつもほほえんでいました。時に私と目を合わせ、口もとに指先をあてがい「クス」と吹き出したりしました。私はへとへとになって口も利きたくない状態でしたが、敢えてこの事については、彼女をなじりました。「おまえ、自分の夫がこんな目に遭っているというのに、笑うとはどういうことだ」妻はこたえました。「私の愛する人よ。あなたはかつて、いつもいつも仕事ばかり。私はあなたのいないこの屋敷で、たったひとりきりでした。とてもさみしかった。でも、あなたは今では、いつだって私のそばにいてくれます。このことが、私に幸せを感じさせ、胸にこみあげてくるのです」私は感激しました。たしかにこれまで、私は御主人様の屋敷の厨房で仕事ばかり。新婚当初は別として、時には妻のことなどすっかり忘れて、料理に没頭したものです。そんな日の仕事の終わった後にはいつも、ああ、妻には悪かったな、と思いはするものの、一度として妻にその事を詫びたことはありませんでした。今思えば、私は悪い夫でした。けれども、妻はずっと私のことを、思い続けていてくれたのです。彼女の心は、私のことなんぞとうの昔に愛想をつかし、すっかりはなれてしまっていたとばかり思っていました。しかし、そうではなかった。このけなげな幼な妻は、ひとり家にいて、私の面影ばかり頭に想い描いていたのです。知らぬ間に目頭が熱くなります。やがて、熱い涙が頬をつたって、顎の先まで落ちてゆきました。私はそれを拭いもせず、踊り続けました。それを見ていた妻は云いました。「あなた、なぜ泣くの?」私はこたえました。「ありがとう」。
 ある日、妻が朝早くに私の前から去ったので、私はひとりさみしく踊らなくてはなりませんでした。彼女が視界から消えて五分もせぬうちに、私は思いました。(彼女は、もう、戻ってこないのではないか?
さすがにこんな馬鹿踊り、見ているのも飽きたのでは)またしばらくして思いました。(もしかして、妻はこんな私のことなど見限って、別の男のところにでも行ったのではなかろうか? ベーカリーの息子は若くて逞しく、妻は毎日そこにパンを買いに行っているから、あそこが怪しい)疑心は絶え間なく暗鬼を生じ、夕暮れ時になって妻がまだ帰ってこないという頃には、私は心中完全に妻を罵っていました。(あの売女め。以前はこの私がいなくてさみしかったとか云っておったくせに。いざ私がこんな災難に遭ったら、さっそく別の男に心を売るのか? 何が愛だ、畜生!)その晩、妻は大きな袋を抱えて、私のところに戻ってきました。彼女はとても疲れている様子でした。私は訊ねました。「おまえ、何時間も、どこへ行って、何をしていたんだ」彼女はほほえんで云いました。「となりの街まで行って、買い物をしてきたのです。見てください、このドレス。私にぴったりでしょう」そして妻は袋から、眩しいほど真っ白で、雪の結晶で紡がれたようにきらびやかな、レースのドレスを取り出しました。彼女はそれの左右の襟口を、指先でつまむようにして両手に持ち、自分の両肩にあてがうようにして、私の前に立ちました。「どうです? 似合いますか」「そんなもの着て、どうするつもりだ。誰かとのウエディングドレスか?」私はいらいらしながらそう訊ねました。「とんでもない!」妻は云いました。「私もあなたと一緒に、永遠に踊ることにきめたのです。おめかしして、あなたと共に、ずうっと踊っていたいのです」私はまた、涙を流しました。踊りながら、涙は四方八方に、きらきらと飛び散りました。私は先ほどまで抱いていた妻への不信を、大いに恥じました。
 その晩から、彼女は新品のドレスをまとい、一層美しくなって、私と一緒に踊りはじめました。手に手を取って、ワルツを踊りました。  何十年も、そうしました。不思議なことに、妻は私と一緒に踊ることで、眠気や食欲を感じなくなっていました。けれども、年齢が重ねられると、声はかすれ、肌は皺を寄せ、老いて、おばあさんになってゆきました。私はといえば、ずっと若者のままでした。いつの間にか、彼女より私の方が若くなっていました。私の体には、年をとらない呪いもかけられていたようです。つまり、永遠に踊らなければならない。私は戦慄しました。そんな私の絶望に怯えた目を見つめながら、妻が云いました。「あなた、こんなおばあさんとでも踊ってくださるのね」「本当は、おまえと一緒に年をとってゆきたい。それが幸せだ。年をとれるおまえが、うらやましい」「あなたは私が死んでガイコツになっても、私を抱いて踊ってくださる?」「ああ、もちろん」「そう。ふふ・・・・・・」
 そして、私は今も、妻の白骨を抱いて踊り続けています。彼女はドクロだけれど、そのくぼんだ目のあたりから、わたしを見つめています。私も、彼女をじっと見つめています。私は幸せです。しかし、彼女の愛も永遠すぎて、私は彼女から「幸せの呪い」をかけられているようで、落ち着きません。でも、落ち着いてしまったら、生も死も幸福も、踊る意味も何もかも、終わってしまうでしょう。なぜなら、それらのすべては私にとって、妻との愛でなりたっているのですから。
 
   *   *   *
 
  こんな話をぼくは 伝え聞き
  あきれかえるほどに あこがれる
  嘘でいいから嘘じゃだめさと せめぎあう
  たったひとり 夜を奏で 幸せの呪縛

(おわり)

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