文芸同好会 残照

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残照TOP  [ ジャンル ] 小説   [ タイトル ] 池牛かばねと聖なる五芒星(1)

池牛かばねと聖なる五芒星    水原友行

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一章 空中庭園―水無池と遠く彼の地で出来た完全密室
 
 
 
  1 序章
 
  「見たら死んでしまう程の超絶的な美しさですって??」
   わたし、池牛かばねは言った。
  「そうだ」そいつは答えた。
 
 
 
  2 寄る辺のなさ
 
  高校三年生のとき、わたし、池牛かばねと小田原なしおは付き合っていた。しかし驚くべきことに、いわゆる男女の関係にはなかった。セックスは、大人社会の形式性を思わせ、非常にばかばかしい運動の一種と思われたし、しかしながらそれでも完全に無視するにはあまりにも三つの聖痕、すなわち快楽と汚辱のスリーシックス(666)が刻印されているように思われたので、わたしたちはその中間段階に位置すると思われる選択肢を取ったのである。つまり、純愛? 知らないけど。
  (単に薬局が人口6千人という、だれもがだれをもの行動をも知りうる密度すかすかの地帯にわたしたちが存在していたってだけの話じゃないの? 今客観的にはそう思えなくもないな。でも、それもうそ。若い時って、本当に何かをしたくなったら命がけにでもなってしまってどんなことでもしちゃうし、許されるって思えたものじゃない? じゃあ、それをしなかったということは、したくなかったという意味になるじゃない?)
  現実を知らないくせに現実について把握しようとするとき、年が若かろうがそうじゃなかろうが、だれもが陥る抽象性。後にわたしだけでなくだれもが皆思い知ることになるのだが、学校や本やアニメやゲームでその時までに学びえた知識で生き抜き、認識し、堪能し、先読みし、予測して対応するには、現実はあまりにも融通無碍であり、神出鬼没であり、混沌であり、地獄であり、無意味であり、何でもありえた。
  そのときすでに、日本国民としてわたしたちは、オウム真理教を知っていて、教祖が自分の入ったお風呂の水を売ったり、手当たり次第に女性信者に手をつけて聖なる手篭めを行ったり、誰か無関係な人をポアしたり、明らかにゴミ箱に歩いて直行しそうなアンドロイドロボットを作成したり、それなのに地下鉄に高機能の毒ガスをまいて無垢なままの人間を殺したりしたことを知っていたので、いかなる種類のどんな数のものであろうとも神様だけにはうんざりしていた。わたしたちは、ネタとして、諧謔として、韜晦として、世間の人様よりも一段上に自分を置いたつもりになるためだけの手段としての神学だけはいかなる世代よりも詳しく勉強したつもりだったんだけれど。でも、まったく現実の野郎はね? みんな分かっていると思うけど。
  つまりさ、これから先、わたしたちが出会う困難を扱うに当たって、わたしたちはまったく単独に存在するものとしてことに当たらなければならないって言う、なんていうのかな。とっても孤独で、一人ぼっちな感じ? 寂しさ? いらいらするような、落ち着かないような、無力感? うまくいえないな。虚無感かな。だれにも頼ることができないで、神にも祈ることができないで、そんな絶望の中で、
  そう、寄る辺のなさ。
  寄らば大樹の陰の反対版。まったくの突き抜けた無人の島の中で。あるいは、鉄砲を持った刺客に追われながらだだっ広い草原の真ん中に標的としてあるような。うまくいえないな。こう、寄る辺のない感じ? そう、それ。
  わたしたちはその中で。
  わたしたちは生きていかなくてはいけないのだ。
  あぁ、大変だ。合掌、合掌。
 
 
  3 完全密室
 
  その日、福島県の海に近い某所で、建物が倒壊して、瓦礫の山と化した。
  数日後、身元不明の死体が、ちょうど瓦礫の下の不思議な、神がかって出来上がったとしか思えない空間の中から発見された。その死体の主である住民の魂が生活していたであろうそのアパートメントの一室が奇妙に切り取られたようにくっきり残っており、いかなる意味でも人体の出入りは不可能であったが、気密性は希薄で、換気はなされていた。一筋の太陽光も差さなかったであろうその空間の中には、テレビや神棚、その他、生活用品が散乱していたが、死体の周りには、ひとつの額縁に収納された絵画と、そしてペットボトルが数本転がっていた。
  死体は、その建物を崩壊させた巨大な事故が起こった後、一日と4時間ほど生き延びていたことが分かったが、その後、死体となって寝転がった。あぁ、つまり完全密室である。
  その死体の作成方法が他殺であることを示す明白な記号であるナイフが、男の胸に刺さっていた以外には、何も特徴のない、あぁ、一般市民、つまり一国民の、人間種の死体だったね。そうだよね、どういえばいいの? よく分からないんだけれど。
  その死体の主である魂は、わたしたちの友人である小田原なしおのものであったことがわかったのは、それから一ヶ月もしてからであった、いや、一ヶ月って随分早く分かったものだと当時は思ったものだけれど。わたしたちがそれを知ったのは、そして、二ヵ月後のことであった。
  日本列島の最南端に位置する鹿児島県指宿市開聞から、その死体の主であった魂は、まったく勇敢な北へ北への放浪の果てに、そこにたどり着いたというわけである。
  あぁ、合掌。
 
 
  4 聖なるペンタングル
 
  高校時代、わたしが属する仲良しグループは、神聖不可侵なペンタングルというほどではないが、五人いた。自分たちではつるんでいると言う意識はなかったが、周りからすればその五人がグループを形成していると認識せざるを得ない行動をとっていたのは間違いないので、わたしたちはつるんでいたのだろうよ、きっと。そういうものだ。ザッツザウェイシングスゴー(果たして正しいかな(笑))。
  わたし、池牛かばねがまず含まれるとして。
  多麻ゆら。通称ゆらっち。通り名感情的信号機(感情がスイッチが入ったみたいに切り替わるんだわ)。名前をつけた親すごいですな。中学校の時にはすでにリストカットと拒食症時における嘔吐をラーニングしていて、高校のときに少し付き合った彼氏と別れた後は、アルコールと睡眠薬に関する依存症をラーニング。メンヘル系を早くもコンプリートしたあとはひたすらこの世からの新しい脱出手段を見つけることにいそしむ毎日。ゆらゆらと。
  板稿なえで。通称なえっち。通り名無線電波通信機。友人でネアカ(って今では死語か!? なんていうの? 空気読まない系? わざと空気読めない系? 天然元気少女? なに? わたしって萌えに疎いな)。グループにおける、社交、外交、コミュニケーション役担当。わたしたちのグループのメンバーが揃いも揃って引きこもりぎりぎりのため、外部との折衝は彼女、なえっちが常にしなければならなかったし、彼女なしで高校生活という逢魔の刻を乗り切ることはとてもできなかったに違いない。そしておたくなえっち様は、明らかに、自明的に、あからさま的に、レズレズ。というか、もはや名乗っているといっても過言ではなし。というより、たぶん、おそれながら、いやいやながら、どうしていいのかわからんながら、わたし小さなバンビなかばねちゃんのほうに、微妙な誘惑光線が時折ちらついていて、彼女を利用するたびに巨大で取り返しの就かない借金を背負っていくような気分にわたしをさせたものだ。
  志乃底こな絵。通称こなっち。通り名歩く壁(話しかけても返事なし)。知的自動機械(オートマトン)、眼鏡少女、ブレーン系。早すぎたゴスロリ(つまり当時では「痛い」系)。今では「遅すぎた」腐った女。古今東西の難書を若くして読破したと思ったら、今度は漫画と同人の海におぼれながらパソコンで呼吸する毎日を過ごし、きせかえ洋服と人形遊び(ブライズ人形と言う)と絵描きと漫画読みに明け暮れている。昼夜逆転娘。
  比様瑞太(ずいた)。通称ずっちー。通り名無し(笑)。わたしの近所に住んでいて、昔から何にもしなくって何もできなくって、のびたくんみたいに前向きだったらいいのに、暗くって、わたしたちといなかったら、いじめられていたんじゃない? 幼馴染かつストーカー経験有り(もちろん身内をストーカーしたミトーカーではないけど。まあ、ストーカーが全国一多いと称される鹿児島県だもんね。ストーカーされたことがないわたしはむしろ劣等感を持っているよ)。不器用でぶっきらぼうなてんかん持ち。
  それから、わたしのかつての恋人である愛すべき小田原なしお。通称すらなしお。通り名耳年魔。恐怖の四姉妹に囲まれて育ったためか女性に対する免疫が強く、というか性別に対するこだわりが極端に薄く、たぶんバイセクシャルの才能もあるんじゃないかな。そのせいか、自分自身に対するさまざまな自己同一性に関する確信に中学生の頃から敏感で、心理学や哲学に没頭していた時期もあり、なんというか、要するにさまざまな変態どもの生態系にやたら詳しいくせに自分については全然分からないという惨めな似非知識人が出来上がっているというわけだ。
  (というか、この通称って、実はわたしだけが使っていて、他のひと使ってないんじゃないの? それに全部、ち、がついているだけだし。そう、「血」がついているんだよ、まじでいうなら。人間ってある意味血袋だけれど、そんなにたくさんは詰まってないよね。だから、みんな友達百人いる人ですら浅あい人間関係の中にいるものね。)
  この五人の事を考えると胸が痛むな。そして、悼むな。
  あぁ合掌。
  そういうものだ。
 
 
  6 わたしたちの町・・・
 
  高校を卒業するまえに、五人で集まって、酒とかタバコとかをやりながら、あらゆる子供じみたものからのいわゆる「卒業」を試みようとして三日か四日ぐらい自分たちの実家に帰らなかったときには、ぜんぜん分からなかった、予測すらしていなかったような現実が卒業後にはやってきた。わたしたちの中には当然のことながら、誰一人として進学を選べるほどのセンター試験の点数を持っている人はいなかったし、実のところを言えば、センター試験の点数を持っている人すらひとりしかいなかった(わたしである。462点)。そして進学できるような社会・経済・心理的状況にいる人間にいたっては、ひとりとしていなかった。
  当たり前でしょう? だって、学歴社会なんていう御伽噺は、いつもそうであるとおりに、テレビの中でしか語られない。そしてテレビの中で語られたことが起こったことって何かひとつでもいいからわたしたちにあったかな、どうかな。そこんところ、ぜひ、聞いてみたいな。どうだろう。ばっかだったよー、たしかに。あたしたち、みんな。でも、クラスの中で上の学校である国立大学にいけた人たちの人生見てりゃ、分かるでしょ? いやでもわかるでしょ? あんなに勉強できないって。みんなは。わたしはただみんながみんなあんなふうな人生を生きることができないって言いたいだけなんだけれど、難しいな、もう。つまりさ、そういうような、国立の大学のえらい学部かなんかに行く人たちは、なんというか、普段の行状からして、わたしたちとは全然違うでしょ? わたしの言わんとするところが分かると思うんだけれど。
  つまり、いわゆる「大学さん」たちって、なんかわたしたちと違うな、根本的に違うな、人間という点はおんなじで同じ地球に住んでいるんだけれど、すごく大事なところで違っているな、そう思うんよ。なんか、真面目でしょ? 真剣でしょ? いや、そうじゃなくて、わたしたちにはめちゃめちゃできない、不可能で、不可視のものが、あのひとたちにとっては、ぜんぜん可能で、ぜんぜん見えるんじゃないの? 大げさに思えるんだけれど、わたしにはそう思えるな。そして、そのことがぜんぜん悲しくもなんともないんだよ。そんなに決定的な差別があるといえばあるけど、なんか悲しいなんていうのは見当違う気がするね。そうじゃなくて、わたしたちにはあんなふうにできないし、たぶん今後もしたくないという気が果てしなくするだけなんだよ、わたしの言いたいところ分かってよ? つまりさ、すごくあのひとたちがわたしには辛そうに見えるの。もちろんわかってる、それは妄想なんだって。だって、あの人たちはわたしたちより成功して、結局、わたしたちの上部に君臨する形でここに帰ってくるか、あるいは上部構造の雲の上に行ったまま帰ってこないわけでしょ? じゃあ、幸せなんだろうし、いや、楽しいんだろうし、いや、それ自体が当たり前だから、幸せも楽しみもなく、ただ当たり前と思っているんだろうし。
  なんか、うまくいえないけれど、「大学さん」たちのことをうらやんだり嫉妬したりあるいは別の何か感情を抱いているといいたくはないな。わたしはただその人たちとは違うし、その人たちと違うわたしの仲間が日本中に五万といる。
  まあ、だから、彼らに対してそのなんかひたむきでわたしにはつらそうなその後の人生にはただただ合掌・合掌というようなもんですよ、ほんと。
  だからわたしたちの多くは、家に残って家の仕事を手伝ったり、家の事をする人になったり、あるいは県外に行ったり、町の公的機関に勤めたり、別の工場とか、事務所とか、スーパーとか、あるいは派遣の人間になって、いろいろな雑務をする人間になったりとか。あるいは、その後、なにをすることも、外に出ることすらできなくなって引きこもったりとか。でもとりあえずは、みんな、自分が住んでいた家を出たくって出たくってたまらないよ。だから、冗談のようで冗談じゃないけど、高校の卒業試験って、本当は、自動車学校の筆記・実技試験なんじゃないかと思うよ、まじで。ほんとのところ、事の真相を探ろうと思えば、この全国規模で起こる、高校卒業後の、子供たちの全国に至るまでの果てしない拡散の動きを本当の言葉で語ろうとするなら、そういう考えもありだと思わずにおれませんな。あっというまに全国に同級生たちが行ってしまったんだ。もちろん、鹿児島に残る人たちだっていたけれど、鹿児島でも、大隈のほうにわたって行ったり、一番栄えている鹿児島市のほうに移り住んでいった人たちの方が絶対的・本質的に多かったかもしれないよ、知らないけど。分からないな。だって、調べたことも興味もなかったんだよ、時々思い返すだけなんだよ。思いついたように時々誰かが帰ってくるけれども、いつのまにか、そのようなにわか雨もやんでいるしね。
  で、わたしたち五人は、どうしたかって?
  もちのろんさ。この町、つまり言いたいんだけれどこの愛すべき鹿児島県揖宿郡開聞町にみんな残ったさ。人口6000人のこの町の一部を構成しようという魂胆だ。いや、そんなに大げさなものでもなくてさ、単に町の外に出る方法を全然知らなかっただけ。怖かっただけ。いや、無知だっただけ。いや、そうであるほかに存在する余地のない方法でこの町に囚われていただけ。
  この町で暮らし続けて、ものすごく居心地良くなっていて、友達だって控えているし、景色もいいし、水もおいしいし、たくさんの人はいないし、わたしたちに巨大な真実を突きつける裁判官もいないし、けど、そんなことはその時は考えもしなかったでしょう?
  仕事? ほとんどなかったよ。今もないよ。今後もある予定ない。
  将来? ほとんどないだろうよ。いまも夢ないよ。今後もある予定ない。
  ただ食っていくだけなのかい? イエース。ただ食っていくだけなんだよ。
  あぁ、わたしたちにこそ、いまこそ、巨大な合掌を・・・
 

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