文芸同好会 残照

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残照TOP  [ ジャンル ] 小説   [ タイトル ] 散文物語集

散文物語集    水原友行

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ヒトラーの発狂

 ナチス親衛隊は驚愕した。おりしもニュルンベルク法も施行され、ユダヤ人の血統証明の方法も確立されたさなかであった。その日、ヒトラーはユダヤ人が何であるか、を忘れ去った。いや、彼の中のユダヤ人を定義するなにかの本質を失った、いや、それを何といえばいいのだろう。正確に言えば、ヒトラーはユダヤ人のことを忘れてしまったわけではなかった。彼はなお、こう主張した。
「ユダヤ人は匂いで分かる。ためしに、これといった人物をつれてきたまえ。わたしは彼がユダヤ人であるかないかを当てて見せよう」
 ところがヒトラーは視察の折に、十人の正真正銘のユダヤ人を解放してしまった。開放されたユダヤ人たちは、
「この世のエホバ!」とか、
「ありがたや、なむあみだぶつ、なむあみだぶつ」
 と喜んでヒトラーの人格を賞賛するのだった。部下がおかしく思って問い質すと、総統は首をひねって、こういうのだった。
「どうもあの人たちはユダヤ人だとは思われないのだ…」
 ヒトラーはそうはっきりとしない声でつぶやいた。部下は答えた。
「陛下の確立された血統証明法があります。恐れながら申し上げますが、彼らはそれによると皆、間違いなし、正真正銘のユダヤ人であります…!」
 ヒトラーは叫んだ。
「血統だと?! そんなものがなんになる。それは何らの魂でも匂いでもない。わたしが憎み憎んで請い足りない、絶滅をこいねがうところのユダヤ人とはもっと厳密なものなのだ」
 そのうち上層部には、総統がユダヤ人を分からなくなる一種の痴呆・幻惑状態に陥ったという連絡が行き渡り、医者・心理学者・魔術師・哲学者などが駆けずり回った。それでもなおもしかしヒトラーの精神はユダヤ人への憎悪に燃え、ユダヤ人に対する弾圧はますます激しくなってゆく一方であった。ユダヤ人とはもっと厳密なものなのだ… ナチスに刻まれたヒトラーのこのつぶやきは、ユダヤ人たるにすこし足りない半ユダヤ人・偽ユダヤ人や、かろうじてユダヤ人であるような者等を撲滅する精神として、歴史に名を挙げた。ヒトラー総統は、その生命の最後の日の前日に、愛人エバ・ブラウンと結婚した。自分がまさにヒトラーという存在であるという限りない恐怖から逃れるためでもあっただろうし、あるい二重螺旋状に愛し合った大切な存在と心中するための準備でもあっただろう。彼は愛人エバ・ブラウンの前にひざまずいた。そして結婚を希うのであった。
「我、アブラハムの妻になりたまえ…!」
 ヒトラーがそう言うと、エバ・ブラウンはこう答えた。
「キャハ! じゃあ、それになっちゃう!」
 最後の日にヒトラーが敗戦のことを考えていたとき、愛人が、いや元愛人が笑いながらこういうのだった。
「ねぇ! あんたが負けた戦争もユダヤの陰謀じゃない?」
「何だ!? 『ユダヤ』とは? 訳の分からないことを言うな!」
 愛人は総統の痴呆の進行を驚きの眼こで見つめ、その日、ミュンヘンの画家たちは筆を折り、ユダヤ人陰謀学者たちはその研究をストップし、銀行家は金と貨幣などの交換活動を停止し、工場はその日の生産を遅らせて、ヒトラーの痴呆を悼んだ。ヒトラーは寝室を歩いていた、右手にピストルを持って。
「何か大事なことを忘れている… 何かを忘れているんだ… 何か」
 いつのまにか、ベッドの上には、モーゼやダヴィデやソロモンが座っていた。
「なあおまえら、わたしは大事なことが思い出せないんだ。キリストよ、我にあわれみをあたえたまえ。子供時代の草原のような… どうして世界はこんなに荒れ果てているのか? おまえらは知らないか?」
 愛人が次にドアを開けたとき、ヒトラーは既に絶命していた。
 あるいは、その愛人の脇を押しのけて小柄な妻が飛び込んできた。
「ああ… ああ… あたしの総統。…しんじまったわ…」そういって、ブラウンもまた、こめかみに銃を当てて引き金を引いた。
 あるいは、小柄な妻のひざの上には青ざめた総統ヒトラーの顔が乗っており、エバの表情は、なにもかも分かったような、あるいはけっして何も分かるまいと断固に満ちた光が宿っていた。彼女の鼻の穴からもかなり太い血の筋が垂れていた。
 そしてエバは昨日夫となった愛人のほうに輝きに満ちた瞳を向けてこういった。
「彼はついに帝国に打ち勝った。この世を並する、同じようにする力に抵抗する力に打ち勝った。敗戦はほんの手始めに過ぎないわ。人類はもっと壮絶な苦しみを舐め、そして第二のヒトラーも、ねぇ、あたしとまた結婚してくれるかなあ? うれしかったあ!」
 そういってひどく咳き込み始めたかと思うと、そのうちに動かなくなった。

消えた男性陣

 行き遅れた女性たちが思う。あれほどたくさんいた男性たちはどこへ消えたのか、と。社会学の教えるところによると少なくとも三人に一人以上の男が結婚することなく生涯を終える。まさにそこに男性の秘密がある。つまり男性に訪れる結婚発情期は、一人の男性の生涯ひとつにつき多くて二・三回、しかも数ヶ月しか持続しないのだ。女性が頻繁に比較的長くて持続的な結婚発情期を持つのに比べて、男性はほとんど瞬間的、まさに射精的である。こうして多くの男性がいつ結婚したくなるのか自分でも分からずに過ごし、結婚したくなったと思ったら長く続かず、あるいはその願望を失った状態で妻を発見し驚愕して首を吊ったり、そのまま生涯結婚制度の存在を忘れたまま過ごしたりする。わたしの隣のおばさんがわたしに教えてくれたところによれば、最近の若い男性は、ただでは結婚しようとしない。お金をジュネーブの隠し口座などに持っていたり、何ヘクタールかの畑を持っている、あるいは持ち山がある女性を結婚相手として想像しているそうだ。女性の持参金は、女性の近代的自我よりも遥かに重要であることは明らかだ。それにまた、そのような傾向の奥には、じつは生理的な事情も含まれているというわけだ。

本当の妻はだれなのか?

 阿木さんの奇妙な話を知ったのは最近のことだ。
 阿木さんは、いわば引き出しを多く持つ、だれにでも併せることができる話し手で、知り合いも多い。女の子もそうした阿木さんに惹かれて、恋をするが、阿木さんは大体のところ、異性に優しく、優しいところはあるがそこまで情熱的ではなく、恋愛に関してはすべての筋書きを相手に任してしまう。そこで、「あなたの意志はどうなの? あなたはわたしに対してどんな気持ちを持っているの?」ということになる。
 そんな阿木さんが結婚することになった。相手は10も下の美人で、周りの人は、阿木さんはあまりにもいい人過ぎるので、だまされているのではないか、と思ったものだった。別に財産目当てとか言う意味ではなく、愛情というものがほとんどないという意味において。
 阿木さんは、だいたい、部屋にこもって仕事をする。その間は、誰も入ることはできない。そこで、阿木さんの妻のそねみさんは、夜の11時になったら、阿木さんに確認した上で、部屋に入り、床を共にするという習慣である。しかし、何を思ったか、そねみさんはその習慣を嫌がるようになった。生理的嫌悪感にまで気持ちがおい詰まるのにそんなに時間はかからなかった。
 そねみさんは、友人に相談することになった。夫に鞭打つことが趣味のその友人は、阿木さんがいつもぼんやりとしているように見えたから、そねみさんにあまり成功しそうもない提案をした。誰かそねみさんによく似た女性を雇って、そねみさんに代わりに阿木さんの寝室に行かせるようにしたのだ。その作戦は、見たところうまく行き、雇われた女性は、月給30万で、毎日11時になると、阿木さんの部屋に入り、床を共にするということになり、その間は、そねみさんは、友人の家に眠ることにした。
 困ったことにそねみさんが知らないうちに、雇われた女性がまた困ったことになった。だんだん、阿木さんの寝室に行くのがいやになってきたのだ。そこで、雇われた女性の茶羽さんは、友人に相談した。そこで、同じように、月給25万で別の自分にそっくりな女性を雇って、代わりに阿木さんの寝室に行かせるようにした。
 そんなことをしていくうちに、6人の女性が入れ替わり立ち代り阿木さんの寝室に行くことになった。そのことに気づいた女性たちは、そねみさんが作成した計画表にのっとって、月曜日はそねみさん、火曜日は茶羽さん、・・・というように交互に阿木さんの寝室に行き、互いの負担に耐えることにし、それぞれの報酬を平等に分割することにした。
 さて、阿木さんといえば、ずっと寝物語をしていた。今日は仕事の話、今日は妻の話、今日は最近のニュースについて、というようにさまざまな物語をしていた。女性たちもまた、その話に合わせるようにして、それぞれの話を記録し引き継ぎ、また、細かい情報を互いに合わせることができるように工夫した。多少の間違いがあってもいいように、多少気まぐれな調子になるよう、女性たちは工夫して、あたかも一人の女性が阿木さんの寝室に入っているかのように見えるよう考えた。
 そうこうするうちに、そねみさんは、だんだんその無頓着な夫のことが好きになってきて、そんなにいやな感じもしなくなってきた。また、すこしずつ別の雇っている女性たちの行為について嫉妬するようになり、困り果ててしまった。そこで、再度友人に相談し、どうしたらいいか、とたずねたところ、そんなことはやめればいい、と友人は言った。そねみさんも、確かにそのほうがまともだなあ、と心底思い、申し訳ないけれどもわたしは夫を愛しているので皆さんには悪いけれども、また、再び自分が毎日阿木さんの寝室に入ることにします、と言った。
 しかし、今度は阿木さんが困り果ててしまった。というより、驚いてしまった。毎日訪ねてきていたあの女性が、つまり妻がいきなり別人になってしまった。違和感を感じて、或る日耐え切れなくなって、「おまえは何者だ。妻に頼まれてきているのか? 妻はいったいどこにいる?」と聞いた。そこで、そねみさんも困惑してしまった。「わたしが妻です・・・」と主張してみたものの、いっかな阿木さんを説得できないことに気づいたのだ。つまり、わたしは確かに阿木さんの寝室に毎日のように訪れていたあの一人の女性とは別人である・・・
 二人は別れ、阿木さんは妻を捜し求めた・・・ 
 事情を聞いても、それは嘘だ、あの女性はいったいどこに行ったのか、なぜわたしのところを去っていったのか、わたしのことを嫌いになったのか、どうしてももう一度会いたい、と望み、あの妻を捜し求め続けた。

夫婦の帝国

 母親は息子について嘆いた。
「いい年をして定職にも着かずぶらぶらと妻と遊びまわって、他の人間の付き合いがあるでもなし、友達がいるわけでもなし、この妻がまた妻で、家の片付けもせず、散らかし放題で、服は脱ぎっぱなし、家事をしないで、いつも、気がついたらホテルに行って、セックスばかりしている」
 その夫婦は夫婦共に無口な性格だった。夫は気が弱く要領が悪いので仕事をすぐ変わった。妻は物事を理解するのが遅く、あまり人と通じ合えない性格である。その二人が愛したのはセックスであった。一日中でもできた。朝起きるとそのまま始め、ろくに食事もとらずに昼もいちゃいちゃと続けて、夜になっても続けるが、このころは家でするのも飽き飽きて、妻が
「ホテルでしたい」
 と望むので、両親のお金を盗んだりし、ホテルに行くこともしばしばである。食うものくわず、まともな眠りさえ取らないこともあった。父はもう息子に無関心なので母親が叱った。
「この世にはまともな生活がある。ちゃんと働いて、男なら仕事に責任を持って、ちゃんと家庭を持ってそれを維持し、それなのに…」
 息子は頭を床にこすり付けて
「ごめんなさい。もうしません。改心します」
 と繰り返し、小柄で可愛い妻も
「もうしません」
 とばかり同じように繰り返している。
「まともな生活をすれば二人の生活だってずっとよくなるし、したいことだってできるでしょ。あんたもあんたですよ。部屋を散らかして、物も服もほったらかして、裸であるいたり、トイレからは匂いがする。女の仕事を全然できていない」
 妻は
「ごめんなさい」
 と馬鹿みたいに繰り返すが、結局二人は次の日になったらケロリと同じような生活を繰り返すのだ。男は思う。
「男なら仕事やもっと偉大な何かがあり、そのために自然に生きるようになると聞くのに、ぼくは三十半ばになってもちっともそんなことにはならないで、ますます妻が可愛く見えるばかりだ」
 妻は黙ってもの欲しそうにベッドに座っている。
「今日は…仕事…行くの?」
「今日は行ってみる」
「少しなら家片付けておくから…ね?…」
「うん、分かった。新しい趣向の服を買ってくるから」
 何も言わずに妻の眼こが輝いた。ぼくらはきっと絶滅する種族だ。結婚式に集まってくれた百人の皆さん、ごめんなさい。ぼくら夫婦はあなたがたの列には加われませんでした。しかしぼくらは生ある限り愛し合い、いつくしみあい、またぼくらが人生で最も価値がある行為と思うものを続けます。仏様、それでいいですか?

政治

 貧困と差別と孤独に対する何らの方途をも持たずして政治家になるのは、ドンキホーテに過ぎない。ましてや世界の平準化という帝国に対抗する眼も軍隊も持たないのにどうして立候補なんかすることができる? 彼は分配も観察も共同体も知らず、政治の本当の敵も知らないで、どうやって政治家になるのだろう? あっというまに、帝国は彼を飲み込み、そしてまた、吐き出すだろう。彼はそのヘドロの中からはいずりだすようにでてくると、まるで政治家のような言動を始めるのだ。政治を知らないぼくの側には、お願いだから、寄らないでおくれよ。政治のほうはぼくのことを知っているのに、ぼくは政治のことを知らないからといって、くやしくてぼくに政治について教えようという魂胆だろう?

魔術師

「さて、どうでしょう?」
 観衆の前でその奇妙な男はにわとりに自分の腕を突き刺した。ぎょっとした観客を尻目に、ものすごい怒号のような鳴き声がしたが、そして男はそのにわとりの中から、もう一羽の生きた、そして不思議なことにきれいなめんどりを一羽取り出した。そして血まみれのにわとりを脇にぶん投げると、今度は先ほど取り出したばかりのめんどりに再び手を突っ込んで、今度は犬を、子犬を取り出し、そしてまた子犬からは猫を、猫からは子馬を取り出してゆくのだった。男の周りにはまたたくまに動物たちの死骸が溜まって散らかってゆくのを観衆は見ていた。男はいった。
「これが私の最高の秘術の生命召喚法です。この方法は生命から生命を無限に取り出しますが、生きている生命は残念ながら常に一個体に限るのです」

えりか

 およそ数年間も勤めているのにそんな時間に気づいたこともなかった。しかし最近、二時ごろから数十分、奇妙な静けさと共に或る女と共に事務所に取り残されるのだ。その女はめだたない、およそしゃべることのない暗い女であるが、よくよく見ればこれまたはっとさせるほど美しい。しかしどことなく男、いや人類を拒否していてその内面を遮断している雰囲気で、実に冷淡な感じである。無駄なこと以外はしゃべりませんわという顔をして業務を続けている。その業務の仕方がまた独特である。およそわたしはこんなに遅い事務処理を見たことがない。いや正確に言えばわたしは誰かの事務処理の速さなど比べたこともないのだが、極めてそれはゆっくりと行われているように見える。しかしそのゆっくりさは一種執拗であり、まるで夫にヒ素を盛るときのような正確さと持続力を兼ね備えている。そんな女がいるとは今まで気にしたことがなかったのだが、あまりにも気になるのでちらちらと眺め、誰もいなく、つまりその女と二人きりになったときには、仕事の手を休めてずっとその女を観察している。そのわたしの視線に気づいているのかいないのか、きわめて冷淡で拒否的な素振りである。とにかくしゃべりかけてこないでくださいという空気が漂っているのだが、もしもわたしが眺めているのに気づいていないのなら、これは相当な努力である。より正確に言えば、わたしはえりかと、つまり彼女としばしば言葉を交わしている。多くの場合業務上のやり取りだが、そうでない場合もある。つまり
「あついなあ、ちょっとあつくない?」
「あついですね」
 の類である。
「こういう日にはビールが飲みたいのだ」
 そんなことを言ってみると、お笑い芸人がやるようなあの表情、つまりなぜこの人はそんなことを言ったのか、何に反応したのかをちらりと眺めて確認する無表情な顔をしたかと思うと、お話は終わりですね、といわんばかりにデスクに眼を戻すのだ。それがわたしを嫌っている素振りならまだいいのだが、そうではない、彼女はまさに話が終わったので業務を再開したのだということがわたしには分かってしまうのである。つまり彼女えりかはそういう無駄のない、隙きのない女なのだ。調べてみても浮いた話のひとつもなく、趣味も休日の過ごし方も知られていない。知られていないのは問題だ、職場の協調性に反する、是非わたしが問い質そう、そう啖呵をきったのはいいが、きわめて隙きがない、つまり武道家が熟練と修行の最後に行き着くといわれる徒手空拳のフリースタイル、いわばかまえ無きかまえ、彼女の沈黙の姿態はその領域にまで達しており、どこからどんな話題を話しかけようともわたしはきっとぐさりと刺されてしまうだろうということが分かる。何を刺してくるのかは分からないが、何かが来るであろう。それは言葉ではあるまい。暴力でももちろんないし、何らかの一発芸でもありえない。
「あは! ○×さん、おっかしい!」
 なんてことは絶対ありえないのだ。しかしわたしは自分の特有の粘着質を発揮して、えりかが恋人らしき男と歩いているのを目撃することができた。それは大柄で筋肉質の男であり、わたしが寝てもおかしくはない、なかなかハンサムである。それにしてもえりかは何と美しいのだろう。まさか外で見るとこんなに美しいとは思わなんだ。そうして眺めていると二人はまったく言葉を交わさない。次の角でも次の店でもずっと言葉を交わさず、触れ合うことさえない。いや正確に言うと何度か
「トイレ行っていい?」
 というささやきはあった、あったはずだ。しかしそれ以外の言葉も身体接触もなく彼女は部屋のドアを閉め、わたしは彼女のマンションの場所を知ってしまった。こうなったらわたしにもイニシアチブがある。わたしは、
「ねぇ、えりかさん、きみ、この前彼氏と歩いていたでしょう?」
 と「えぇ!? なんで知っているんですか、主任?」などといった返答を期待することを微塵もすることもなく話しかけた。えりかはゆっくりとわたしの足元から胸、胸から顔というように眺めあげたが、そこには独特の冷淡な軽蔑が宿っていた。
「いいえ、違います」
 とえりかは答える。
「もしよかったら証明してみましょうか?」
 驚くべきことにえりかのほうからわたしに接近してきた。まるで数ヶ月わたしを何らかの策に陥れようという作戦を今確実にゆっくりと真綿で首を絞めるように実行し始めたかのような確信に充ちている。逆にわたしのほうが戸惑い、
「い、いったいどうやって証明するんだ?」
と言うと、えりかはこう答えた。
「わたしがちょうどその男と歩いたようにあなたと歩いてみることによって、またかつ、あなたをわたしの部屋に、条件によっては、案内することによってです」
 わたしの眼がキラリと輝いた。
「えりか、きみは実はすごく美しい顔立ちをしているね」
 えりかはこういう。
「そんなことは重要ではありません。目下のところ、わたしたちの義務は手をつないであるくことです」
 わっと就業時間が終わり、外に出て、或る程度道なりに進んだわたしの右手にスルリとえりかの手がすべりこんできた。と思うとその手はわたしを押しのけて一定の距離に保つと、彼女は、
「じゃあ、わたしの歩くほうへとちょうど歩くようにするのです」
 といった。えりかとわたしは恐らくえりかにしか分からない必要性があって、さまざまなところを歩き回って、太陽も沈みかけてきて、わたしはほとほと疲れ果ててしまった。だからえりかが
「ここがわたしの家です」
 といったとき、わたしは間違って、
「知っている、前に来たことがあるんだ」
 と答えてしまった。それを無視してえりかは、
「テーブルの上にすでにあたたかい紅茶があります。それを飲んで下さい」
といった。そして廊下の向こうへと消えた。わたしは何とか紅茶のあるテーブルについて五分かけて紅茶を飲み、五分かけて煙草を吸っていいか考え、五分かけて煙草を吸った。そして立ち上がると、
「えりか! えりか! いったいどこへ行ったんだ? おれをどうするつもりだ? えりか!」
 と叫んだ。そして部屋中を探し回り、ドアからドアへ窓から窓へ移ったが、えりかを見つけることができなかった。と、目の前の水飲み場に彼女がいるじゃないか。
「えりか! どういうつもりだ? どうして返事をしないんだ。何度叫んだと思ってる?」
 えりかは何ともないように答えた。
「しましたよ、返事。何度も」きこえませんでしたか、すみません、
 それは言ったか言わなかったのか。わたしは怒りにまかせてえりかの腰を抱いて、そのまま押し倒し、抜け出そうとする足を上から押さえ込んだ。そのときえりかの眼こには低級なものにたいする哀れみのようなものと距離の感情、軽蔑の情がその無表情さにもかかわらず、はっきりと現れているように思われた。えりかの顔立ちは、凹凸は少ない緩やかな平面状の美人系であり、きわめて蠱惑的に点灯した。
「おれはずっと見ていたぞ。えりか。太陽が最もまぶしくなるときちょうどおまえとおれはひとりになる。そのときおれはずっと仕事もせずにおまえを眺めていた」
 えりかは少々バタバタと手足を虫のように動かしたが、そのうちにタオルのように大の字になっておとなしくなった。カーディガンがイラン風のミニアチュール模様を床の上に正方形に、われわれ男と女それぞれの民族の歴史と共に、正方形に広く広げていった。えりかはわたしの言葉に答え、こういった。
「そんなの始めて知りました。でもどいてください」
 わたしは、えりかの腹をつかんで、その美しい顔に近づこうとしたが、途中でやめて、
「悪かった。もうわたしは戻ろう」
 といった。
「出来事も家も忘れる。えりか、おまえの虎の腹のようなお腹の手触りも、近づいたときのむせるような匂いも、すべて忘れる」
 そう言って、わたしはテーブルのところの煙草を取って戻ろうとした。そのときわたしはえりかのほうを顧みようとしたが、再びいなくなっていた。
「えりか! どこ行った? おれは戻るぞ!」
 わたしはそう叫んで、耳を凝らして返事をききとろうとしたが、ついぞききとることはできなかった。わたしはまた、本棚の上にあるピラミッドの置物を取ってポケットに入れて、外に出ると真っ黒だった。えりかの気配はその闇からも、またマンションの内部からも完全に消え去っていた。

蟻の話

 仕事の結果がなかなかでないで苦しんでいるとき、一番親しい同僚が蟻の話をしてくれた。百匹の蟻を自由にさせるとそれぞれ蟻は動き回っているが、その動きにはほとんど意味がなくただうろちょろしているだけで、大体そのうち二十匹ぐらいの蟻だけがまともな労働、つまり自分の属する蟻集団にとって益する仕事をしている。だからその有益な二十匹を取り出してもっと効率のいい、まじめな、政治家好みの集団を作ろうとすると、今度はそのうちの十六匹の蟻が突如翻ってただうろちょろするだけの遊ぶ怠け者のする無意味な活動を始める。ぼくらの仕事はきっとまさにその八十匹の蟻のほうがしている活動なのかもしれない。でもその八十匹がもしもいなかったら残りの二十匹も不思議に働くことは決してなかったかもしれない。それにまた、だれも、だれがうろちょろしているだけなのか、だれが労働しているかなんて分かりはしないんだ。
 その頃ぼくたちは毎日のように喫煙所で勉強会をしていた。

さなえ

 おそらくその女と付き合ったり、結婚を考え望んだりすることはない、実は親しくもしたくない、親しくできるとは思わないんだ、むしろ。一緒にいたら楽しくないだろうな、ノリが違う、と思う。でも分かって欲しい。さなえ、その女はさなえという名なんだが、ぼくに異常な魅力を持っていて、手足の一挙主一挙動がぼくを引き裂くように誘惑してくる、その顔の形、無力な表情、高くてはっきりとした鼻立ち、うすくて小さな唇、ひとえの大きなつぶらな瞳、小ぶりだが決して小さくはないしっかりふくらんで肩の下からバランスよく配置された双球の胸、ちぎれそうな腰、そのすべてがやばいんだ、そんな異性がいる、そしてその異性に、いやその種の女性に対する執着は生涯に渡るのだろう。いっそ人形や奴隷、あるいは奴隷人形やその他の玩具として所有できたら何とすがすがしいことだろう。ぼくはこうしたたくさんの愛を持ち、一緒にいて大切にして結婚するに至るようなまともな愛着とはまったく別に、それを自分の大切な一部分として持っているんだ。フェティシズム? 何の話だ? ああ、さなえだ、さなえの話だった。足首から首の付け根、うなじまでさなえは完璧だった。そのことはだれでも認めた。だれでもといっても中学・高校の話だよ? だれが美人かと言えば多分三番ぐらいには入るんだ、だがしかし、だれも近寄れない、美しすぎるからではない。そうではなくて一緒にいても楽しくない、絶望的にノリが違うということが分かるんだ。天然パーマの不細工の女がさなえの唯一の友達だった。二人でひそひそ小さな声で話しているのをぼくはよくじっと見ていたものさ。そればかりか何度かは罰ゲームを装って話しかけたものだった。しかし彼女が返事を返せたことは一度もないよ。返事の仕方を知らないんだ。あんなに無駄な美しさは見たことがなく、存在することもあるまい。そこでぼくは始めたさ、つまりいじめをさ。もう四年も前の話さ、別にかまわないだろう? それからはさ、すごい萌えさ。萌え萌えだよ。ぼくはさ、何も足首が好きなわけじゃないさ、分かってそこんとこ。でも、さなえのスリッパと靴下を盗んだときには泣いたよ。内側に足首が少しそねっている畸形が、裸足ですこし色が黒ずんでて、すんごく綺麗。
「先生、わたしなくしたんです」
 訊かれもしないのに来る先生ごとに説明している。そんなことよりぼくにはさなえの足のくびれの部分が腫れ上がっているように膨れた球形をしていることにほとんど半日も夢中であった。あの足は、童顔の熟女の母親が実は自分のほんとうの妹ではなかったことを知って流した涙よりも萌え深い。ぼくはいよいよさなえの肉の形体について魔術にかかったかのようにして執着を深めていったのである。それは決してさなえの人格や心に対する興味ではないことはぼくをむしろ苦しめたほどだった。乙女とは、恋と性についての想像の技術と作法を身につけた女のことを言うが、ちょうど中学から高校の初年度に女子らは乙女になるか、乙女の状態を一度経過する、ところがさなえが彼女の友人にこう強弁していたときほど激しく萎えたことは、壁に身体を何度もぶつけたとしても、かつてないままに終わるであろう事を覚えている。
「わたしもう少女なのじゃなく乙女なのよ」
 そのときのさなえの存在ほどうざかったものはこれからもこの宇宙に存在しないで時は過ぎ去るであろう。ぼくはそれを聞いて、お前のような女の自己主張ほどどうでもよいものもない、と思った。世の中にはその美しさのためにはけっして自己主張してはいけない女がいるものだ。同時に、その種類の女は自己や人格にも無縁でなければならない。そのときに彼女の美の関数は最大値をとるのだが、まさにさなえはその種の女だった。であるからぼくはますますさなえの意思を超えた実験をすることによってさなえを消費する必要を感じるようになっていくのだった。ぼくのその実験的ないじめはまさに彼女を困惑させた、その困惑こそが、彼女の自己に対する確信を失わしめて、ますますさなえを美しくいったのだ。たとえばあるときは、ぼくは、いじめられっ子でさえない男子の教科書とさなえの数学の教科書とを交換しておいた。それでどんな反応をするのか見ようという魂胆さ。まずかばんから教科書を取り出したときのさなえの表情よ。ぼくの身体の下半分は萌えのあまりに震えだして心臓が今までにない電気で動くのを感じたほどだ。ぼくはあのときのさなえの表情だけでごはんが三杯は頂けるが、いやもっと言えば、さなえが授業中ずっと差別的な作戦を練りながらじっと動かずに放心しているのを見、また休み時間になったらトイレに行く振りをしてその男子のかばんの中にぞんざいに投げるように、しかし音もなく誰にもけっして気づかれることもない、修行者が三週間目で会得する無心のさりげなさで、するりと入れたときのさなえの冷たい表情なら苦手なピーマンも五つは生でいける。さなえが受けた撹乱はそれだけではない。ノートにはいつの間にか卑猥な写真がはさまれていたり、自転車のサドルが三回も別のものに入れ替わったりする。もちろんそのサドルは今でもぼくが持ってるさ。そればかりか、とても彼女には解けそうもない数学の章末演習問題Bの中の特別技巧的な一問が、まごうことなき「彼女の筆跡」でノートに書かれているのを見たときのさなえの口の金魚運動の生半可ではない萌え波動よ。そのときのためばかりではないが、ぼくは、さなえに関しては、筆跡・文字、絵、声に関して、完全に形態模写・模倣することができたのだから、その事実によってさなえの生が受けた巨大な、右や左への変化は、口で表現できないほどだった。さなえの実家でも同じような変化が起こっていた。机に置いていたものはテレビの上に見つかる、そのようなものばかりではない。散らかったり、片付いたりの周期は規則的にナイル川近辺の天候に似た形で繰り返され、また物は増えたり減ったり消えたりするのさ。さなえはひとりになったとき、歯軋りしてくやしがり、訳も分からず髪をかきむしったり、わめいたり、およそ少女の口から出るとは想像することもできない呪いの言葉を吐いたりし、泣き出すのだが、そのときほどぼくの胸が締め付けられてキューと苦しく、あわれで、かわいそうで気の毒に思い、同情したことは、ぼくの人生でかつてない。わけも分からず怒り出した友人にのけ者にされて疎外感を覚えているさなえ。物事が自分の思い通りに進まない卑小さに震えているさなえ。虫の動きや自分の知的操作(推論)の見事さによって、ああこれがそうなのか、と豆電球がついているさなえ。次々と不遇の死を遂げる飼い猫や飼い犬などの意味もなく訪れる突然の死や悲惨な事故によってとても大切なものを失って心の中にぽっかりと穴が開いたような空虚さの中にいるさなえ。どのさなえもわたしの全身の穴からの萌え汁でわたしの鋭敏な受容体を充たさなかったさなえはどのさなえにもいなかった。ぼくはさなえに対して罪の気持ちを持ちなにをしてやれない気持ちさえ感じた、そしてそんなときはさなえもまた怪訝そうな顔で自分の人生を見つめるのさ。そしてそんな表情でぼくはめしを何杯も食べれるのだ。ぼくとさなえの間にはいかなる親密さもなく、いかなる言葉も交わされることも交わすこともなく、それなのに、どんな家族よりも恋人よりも妻よりも深くつながっていた、だからぼくは、学校制度がさなえとぼくを引き離すということを知ったとき、正直言ってショックを受けた。そしてそのショックで放心しているとそのうちに身体が震えてきた。ぼくはもうあの、棒でめくられた背中とも、ぶつかって露出したお腹とも、たまらずめくりあげられた二の腕とも、ひとりだけの私服とも関係のない生を送るんだ! それこそが男のまともな道というものさ! ところがどっこい、世の中には第二のさなえ、第三のさなえがいて、無限に存在する種族を構成して散らばり、機を見てぼくの目の前に飛び出そうと待ち構えているんだ! おおさなえよ、おまえはぼくにおまえたちを教えてくれた…

英文法のF先生へ

 先生の授業を聞いて、英文法についての理解が進歩することほどぼくにとっての喜びはありません。ただようやく英語が苦手なぼくでも、Sが攻め、Mが受け、であることを何とか分かってきたんですが、さらにVとかOとかになるともうまだ、分からないのです。
O=ゆるい攻め(?)あるいは「オォ!」という震えんばかりの叫び
V=攻めるための道具、あるいは道具を使った攻め
 と言う解釈でよろしいでしょうか?
 そう考えれば、有名な公式「SVO」とは「道具で攻めてオォ!」と意味が通ると思うのですが…。しかしそう考えても疑問が残り、やはり今度はCとは何かという鞭によってわたしの無知がしばかれるのです。だから、
C=開けられた首輪
O=閉じた首輪
 と考えれば「SVOC」とは「道具を使って攻めながら 首輪開放 アメとムチ!」となると思うのですが、いかがですか? ですから当然「SVOO」とは「道具を使って攻めながら 首輪はそのまま フェイントか?」となるのですか?
 目下、勉強中です。応援しています。

カルネアデスの舟板

 急に足元がぐらつき、バネがちぎれたような音がしたかと思うと、わたしは夜の海に投げ出されていた。談笑していた妻があっという間に波間に飲まれて遠く、おぼれていて、近くではないが母の無表情な顔をちらりと見ることができた。わたしは小さな板切れを手につかんでいてその板はわたしを一時的に数日は生かすだろう。
 夜なのに不思議な光が辺りを照らしている。
 過去に向かう光の筋が母のほうに向かってのびていて、母の横顔を照らしていた。
 未来に向かう光の筋が妻のほうへ向かっていてすべるように何かを必死につかんでいる、つかもうとしている妻の細い腕から全身を包み込んでいるのが見えた。
 母の胎内の中にはわたしの歴史が見え、妻の子宮の中には私の子々孫々が戯れているのが見えた。わたしはこの夢の中で、板切れを与えることによって、母を助けるか、妻を助けるか、そのどちらかをして自分を殺すか、自分が生き延びるかを試されているように思えたが、でもわたしにもっとよく分かっていることは、この状況は、この選択は、つまりこの倫理学は「解なし」であることだった。ないように思えた。わたしとわたしの友人はもう十年もこの問題に取り組んでいて、解決できずにいたし、この夢の中でもきっと無理だろう。わたしは友人と共に板切れを離し、溺れ死ぬことによって、きっと全滅の道を選ぶだろう。なぜならロシアの天才小説家ミハイル・フョードル・ドフトエフスキィが言うように、愛無き生は地獄であろうから。
 そのときもっと遠くから、あるいは別の次元からなのか、そんなことは知るもんか、もっと強い光と共にマザー・メアリーが現れて、わたしたちと海の群青色を照らし出した。その強大な光の下でわたしたちはそれぞれわたしたちであることの区別を失った。わたしはわたしでなくなり、妻は妻でなくなり、母は母でなくなり、あるいはまたわたしは妻であり妻の息づかいであり、あるいはわたしは母であり母の疲労であったし、また妻はわたしの選択に直面し、母は妻としてわたしの視線にさらされた。すべてを一体化する光の下でわたしたちの選択肢は意味を失い、マザー・メアリーのこんな声が聞こえた。
「ひとりはみんなで、みんなはひとりで、あなたは彼で、彼女はきみの分身で、きみが殺した男の傷はきみ自身の傷で、きみの敵の喜びときみに対する征服感は同時にきみの喜びであり征服感であり、そんなことがわからないきみはしんじゃえ! しんじゃえ! しんじゃえ!」

FAMILYって、FAther! Mather! I Love Youの略ですか?

 父は怠け者ではなかったが、仕事がなかった。月に十日もあればいいほうで借金はかさむ一方であるので、ますます生活保護ですら受けられない。母は怠け者で働こうとはしないし、家のこともほとんどしないのに、だからかえってそうなのであろうか、世間体を気にすることだけは一人前である。三歳年上の姉は病弱でおとなしい人だが、ほとんど病院にいるのであまり知らない。ぼくはもう三年も学校に行っていない。そればかりか、もう半年も家の外に出ていない。家の外に何があるのかも分からない。コンビニとスーパーがぼくの町には一軒ずつあるが、そんな場所に行ってもお金はない。都会なら無料で本を読んだり、ゲームをしたりできるらしいが、ぼくは都会が怖い。この町、ぼくが引きこもっているこの町以外の町について何一つ知らないし、知るのが怖い。どうやって暮らせばいいのか分からないのだ。父は時々パチンコに行く。それが父の仕事以外の唯一の外出だが、そのとき雑誌を持ってきたことがあった。ぼくの教科書はそれだけで、そして外の世界はこの町と違いすぎてとても生きていけそうもない。母が近所中を回って姉の病気についての寄付金を集めて回っている。そのわずかなお金は食費に使われないときには姉のお菓子代になる。ぼくは先月姉を見た。姉が一日帰ってきたときに、ちらりと姉を眺めたとき、こんなに美しくて若い女性を見たのは初めてだ、と思った。ぼくが見るとしたら、老人ばかりで、しかも引きこもっているので、その老人さえめったに見ない。そのうちに、姉は、
「病院に戻して! こんなところは耐え切れない! こんなところにずっといるやつはどうかしてる! 病院に戻して!」
 と叫び始めた。何かまずいことが起こったらしい。次の日には再び、ぼくの元には、シーンとした生活が戻って来た。ぼくは台風用の木製窓を開けて換気をすると、空を眺め、そしてつぶやいた。

FAMILYって、FAther! Mather! I Love Youの略ですか?
SILLYって、SISTER! I do Love do Love Youの略ですか?

 歌っているみたいで楽しかった。姉の美しい顔をありありと思い浮かべながら、気持ちを込めてつぶやいた。ぼくがいる場所を中心にして五キロの正円を描いたとしてもそこに人間が百人もいないだろうこのすがすがしさ!

ともみ

 小さい頃はよく一緒に遊んだ近所の同級生の娘が、ぼくが中学三年生のときに、お金持ちの偉い人のところに養女に行ったのを覚えている。名前はともみ、小さ眼ではそれほど特別な美人にも見えなかったし、特殊な才能を持っているという話を聞いたこともなく、ぼくは、養女、つまり或る男、きっと年配の男の実質上の妻として、つまり養女あるいは婚約者として、どのようにみそめられていったのかは知らない。ただぼくらの集落はひどく貧しいところで、ともみの家は、木造が露出してあるほど貧しい家だったので、何か集落にとっていいころにでもなれば、と大人の人たちはよく語っていた。
 翌年、すでに義務教育を終えたぼくもともみも当然のようにして社会へとはばたいた、といっても何かが変わるわけではない。ぼくは外回りの仕事を選んだが、朝の六時には準備を始め、夜の十時にようやく事務所で閉めるといういささかつらいものであったが、ぼくも十五歳になった立派な男である、それでも多くの人たちが部屋の中で、あるいは現場に縛り付けられてカリカリやっている昼間の明るいときにいつも外にいられる開放感ときたらすべての生命をささげてもぼくが欲しかったものだった。ぼくは、ぼくが住んでいる土地の事情について、半年でその土地のどの大人をも超える知識を得たと思う。つまりほとんど天職で呼吸するようにすべての業務が身についた。ある日、そのともみが嫁いでいった家の前に来たとき、だから、信じられないほど高価で豪華な服に身を包んだともみが庭で、巨大なホースを持って、花に水をやっているのを発見したとき、びっくりしてしまった。ともみは十五から十六歳の同級生をはるかに追い抜いた文化的水準と文明的水準で、ぼくらと同じ半年を生き、すでにぼくらから遠く離れたところに存在していた。およそぼくの町では見たことのないような教養的瞳をし、その美しさといったらぼくが本の中でしか知らない単語、つまり令嬢といったものに該当すると思われた。さすがに苦労にやつれて細くなっていたが、すでにぼくの集落の近所の同級生のともみではなくなっているように思われた、そのことをよく覚えている。
 十八から十九歳にもなると、ぼくも責任ある仕事を任されるようになってきて次第に忙しくなってきたし、結婚のことを寝物語の冗談のように考えるような女の子も何人かできたのだが、だからともみの家に仕事で行ったときには実は、自分の周りに比べての成熟ぶりに自信を持っていたぼくは、ともみに会うのが楽しみであった。苦労していないだろうか、慰めてやろう。ところが広い庭先を歩いているうちに鋭い金切り声が聞こえてきたと思ったら、女が誰かを激しく怒っているのである。さらに近づいてみると、十八になったともみは四から五人の大人をあごでこき使っていたのである。つまりもう二年ほどは前になるのであろう、そのときにはすでにともみは大人に当然のように指示や命令を与える立場にいて、いまや当然のように慣れたといった風情で、二百ボルトほどの存在感を持っており、ぼくはともみに類する他の脆弱な十八歳くらいの女を見たことがまったくなかったものだから、肝をつぶしてしまった。無口でいると、
「来たわね? 何を突っ立っているの?」
 とともみがあまりにも速い速度で、つまり早口とぼくには感じられるような速度で話しかけてきたので、ぼくも、
「ぼくのことを覚えていますか?」
 と早口で言った。ともみは、ぼくを軽蔑の眼こでちらりと眺めたかと思うと、もはや十八歳以上のどんな女性にも見たことがないような「微笑み」でぼくに答えてくれた。その日はなにもかも肝をつぶすような経験ばかりで、ぼくは次の日にはすべての友達の女の子とのつきあいを絶ってしまった。すべてが幼稚に思えた。それからぼくはともみと三ヶ月仕事の付き合いをしたが、教育と智慧に充ち、また美と高貴を備えたともみが、ぼくと小さい頃十字架をした同じともみとはとても思えず、毎日々々新鮮な感情が湧き、仕事が終わるころにはぼくはアルコールびたしになっていた。さすがに自重し、さとされもし、自分を本来のレベルで観察ができるようになった頃にはぼくはともみのことをそんなに思い出すことも無くなっていった。
 それでも二十歳ぐらいになると、ともみと夫のたえず続く不仲・喧嘩、要するに夫の浮気などの噂がたえず続いているというのを聞くようになった。ともみが我々同級生を遥かにしのいで身につけた道徳と精神がきっとどんな問題をも解決するさ、とぼくは信じていたが、ぼくと妻が結婚し、実家を三倍の大きさに改築した二年後に、信じられないような報が飛び込んできた。ともみがこの集落に帰ってきたというのである。家の中に閉じこもり、訳の分からないことを言っている。ぼくは急いで集落の若者と二人で、ともみの家に向かうと、すえたような匂いと共に、フラフラしたともみが入り口、その家に入り口があるとすればの話だが、から飛び出してきた。見ると放心状態で、酒か、それに類する薬剤を使用しているらしい。それから今までともみは集落の重荷であり常時監視下に置かれている。生活はかつての夫からのわずかな、この集落の基準からいってもわずかな送金がある。ぼくはほんの小さかったころのぼくとともみの或る瞬間を思い出す。
 水なし池の土手に腰掛けながら、ともみの目は遠くの異国、いや宇宙、いやエデンそのものにまで向けられているように感じた。ともみの口はとめどもなくああしたいこうしたいの夢を紡ぎ続け、こんな言葉があったのを覚えている。
「なんてことないの。たいした奴じゃあなくってさ。そうじゃなくって学校とか人間とかみたいないとんなものに疲れきったときにさ、いつでもわたしが使いすぎている頭をちゃんと理解してその男は飴玉をくれるのよ。あぶらっこいのも好きよ。できればたくさん予備の分も、つまり缶に入ったタイプであげるのもいいけれども、缶に入ったものは一人でこっそり食べるのに取っておいて、やっぱり飴玉をくれるのがいいのよ、つまりいい男よ。よかにせ。わたしが当然のようにハリウッドオスカー女優への階段を上がっているときはね、ものすごい速度で上がるわよ、でも時々障害があって疲れ果てちゃうでしょ? そのときわたしが速度をゆるめるとハァハァ息を切りながらようやく追いついてくる、わたしに追いつけはしないけれども本質的には離されることがない、そんな男、なんてない男なんだけれども…」
 ぼくは燃えるような瞳をともみに捧げていた、五歳だけれど。
「そんな男はいないんだわ、チェッ」

みゆきへ捧ぐ

 多かれ少なかれ魚類なのさ、みんな。
 馬が魚類である程度には。
 猿がみゆきである程度には、
 多かれ少なかれ皆人魚なのさ。

返歌

 およすいた おまえよ 消えよ
 子供が 子供が 消えないよ
 砂の森で遊ぼうよ
 およすいた おまえよ 消えよ

オイディプス父娘

 その父は娘を抱きかかえて現れた。小学生ぐらいの娘の肢体は針金のように細く長く、折れるようだ。父の首にすがりつき離れ、またしがみつき、なだれかかる。まるで一体化したラオコーン像のような一時間の後、父は娘を下ろし、娘の耳をかんだり、耳にステキな言葉をささやいたり、そしてまた娘は父を壁にしたり、父の胸を舐めようとしたりする。
 それが大勢の人が集まる都会の或る場所で、母と妹を待っている間に、ぼくが観察できたすべてだった。いや、それ以上だった。

水浴のあとで

 気分が悪くて吐きそうだ
 まさに孤独だ
 これは雨だ 雨のよな砂だ 血のような海だ
 夕方だ サインをもらった少女だ 雨のよな砂だ
 気分が悪くて吐きそうだ
 病気だって言われてほっとしそうだ
 これは針だ 動物を殺す道具のうちのひとつだ
 これは穴だ 人間を窒息させる洞窟のうちのひとつだ
 これは天使だ 生命を灰と化し絶滅させる存在
 気分が悪くて吐きそうだ
 光だ 光をくれ 光だ やすらぎをくれ
 競争ばかりだ 未来への配慮が絶え間ない
 これは欲望だ 足の裏をくすぐる蟻のように
 これはずれてゆく 手の中に包んだキャンディーのように
 これは地すべりだ へその上に張り付く小動物の種類の
 気分が悪くて吐きそうだ
 まさに孤独だ 雨のよな砂だ 光だ 光をくれ
 まさに天使の孤独だ 熱視線で燃える夢を見た
 まさに穴だ その中にうずくまって息を潜めて敵の通りかかるのを待つための
 気分がひどくて吐きそうだ 息がくさくて死にそうだ 少女の死体の十体の配給 上に座って煙草を吸う そんな十分の休みをくれ
 もはや永劫に許されない欲望ばかりが待っている
 これは穴だ まさに孤独だ ひとりで出し入れしている これは穴だ まさに孤独だ 包まれて安らぎを探そうとするときに人がそこを引き裂くための これは穴だ 競争よ、終われ 出来物がもう百個も出てきて二百八個はつぶした 問題は穴だ つぶした後もそこに残っている穴だ 声をかけてみる 足で潜んでみる 棒で触ってみる 食用の少女二十体の配給 その上に座って月を見る友人のためのお菓子がない 足も手もない 空気をくれ 穴から噴出す おおこれは 光だ
 寂しいこの世の友として人形を買った まさに孤独な満足だ アリだ アリの楽しみだ わたしを祈らせておくれ いやだ もう出て行きたい この世の寂しい友としていったいの人形を買ってみた 長髪で赤ん坊のような かわいい 女の なめらかで つるつるしていて真っ白の 夢のような すべすべで触っているだけで 胸が感動でつぶれるような 一体の人形を買ってみた 生命を灰と化し絶滅する存在
 一体の人形を買ってみた
 まさに孤独だ
 生命を灰と化し絶滅する存在
 血を塗りたくって煙でいぶして土を少量かけて月で照らした十分量の水で洗うこと数ヶ月の人形の
 まさにこれは穴だ
 まさにこれは針だ
 生命を灰と化し絶滅する存在
 一体の人形を買ってみた 雨脚はまだ聞こえてる 血のよなサインだ 少女がもらった 気分が悪くて吐きそうだ
 急いで都の中に入り部屋の外に出てみると月が出ていた

 月が照っていた 足元をアリが歩いている
 冷たい空気だ
 無意識のうちに右手に人形を持っていた
 そのことが無性に悲しかった
 まさに孤独だった
 足は自然と光のほうへと 虫のように 虫けらのように 進む

 そこにいるのは蛍光性のものばかりだ
 まさに穴のような谷だ
 針のような川だ
 そこで水浴をした後に買った一体の人形は
 生命を灰と化し絶滅する存在
 穴から噴出す おお これは 水だ

彼女は「ソムリ」と言い、あの娘は「アウラ」と言った

 かたすかしのような、透明な、透き通った生活。
 美女たちの視線は壁を貫く。
 そしてわたしは天使たちの群れを見る。
 見た、寄ってきた、
「アウラ」
 消えてほどけて白いどっしりとした糸の固まりになり、それはフローリングに音も無く落ちる。
「アウラ」
 かたすかしのよな存在。
 そしてわたしは天使の群れを見る。
 来た、触れた、通り抜けた、
「ソムリ」
 面妖な樹の魔女が汁となって、壁と壁が出会うところからシャワーのように噴出す。
 その冷たいこと。やめてくれ。冷たいから。
「ソムリ」
 そこでわたしは哨兵だった。
 その昔ひとりの熟女を愛した。
 その熟女は折り紙の達人だったが、一日に人間と十分しゃべったらいいほうだった。
 しかもなお毒舌だった。
 だからわたしが彼女を愛せていたどうかは彼女に聞いてくれ。
「アウラ」
 そもそもの始まりは海の生活だった。
 筏と洞穴が日光に照らされている。
 それがわたしの家だった。
 そこへロケットが飛んできた、いやあれはロケットなのか? わたしはロケットを見たときそれを正しくロケットと呼べるのだろうか? もし妙子を、わたしが妙子であることを知らないとき、正しく妙子と呼ぶことができるなら、あれはロケットだったのだ。光が、わたしを捕らえ、愛する筏と海が消えた、それともわたしが消えたのか? わたしはロケットあるいはそれに類する三角錐上の何かの中にいた、走り回って確かめたから間違えない。
「ソムリ」
 とめどもなく走り去る群れ―群れ―群れの中に、息ができないくらいの人いきれの中にわたしはいた。
 頭がどうかなりそうだった。
 ある日、ひとりの熟女を愛した。
 彼女は魔法の手つきで様々な鳥の形を紙で作り上げた。作り上げるたびにゴミ箱に捨てるのだ。わたしは彼女の出すゴミに詳しくなった。しかしこれは別の話だ。彼女は髪が長く、白い飾りを胸によくつけていて、わたしに怒鳴り散らした、わたしは海の匂いがするのだ、わたしは見えない、その海の匂いによって。
 それが次の段階だった、壁の中から潮の香りがするとき彼女はそっと壁に手を触れて、赤い血しぶきと切り刻まれた肉片と共に、壁にのめりこんでいった。もう一度言わせてくれ。彼女は血しぶきを上げながら壁にのめりこんでいったが、それはまたカッターの刃をつけた業務用の扇風機に指先から自ら削り取られて肉片を撒いてゆく白い服の深窓の令嬢のように見えた。たんぱく質の大根おろし。わたしはそのとき海を見た。海の上にたくさんの紙で折られた鳥たちが飛んでいたが、そのうちの一羽として正しい名前を言うことができたのか? わたしはそこのところ疑問に思ってる。
「アウラ」
 太陽が照っていた。考えはすべて消えた。
 太陽が強く、照っていて、考えはすべて消えて、眼に強い光が焼きつけられるのだ。太陽が照っていた。

小学生作文コンクールテスト入賞作品「依存性のない多幸感」?賞

 依存性のない多幸感があると聞きます。
 依存性のないこととは、また欲しくならないこと、何度も欲しいと言ってがっつかないことであり、また、多幸感とは、しあわせいっぱいのことらしいです。
 そういう薬を作っている(朱ペン先生「栽培している」)おじさんから聞きました。
 つまり、おいしくってきもちよくってしあわせいっぱいになるのに、もう一度ほしくならないと言うのです。そんな幸せがあると言うのです。
 矛盾です。逆説です。ありえないです。訳が分からないので、死んだほうがいいと思います。
 わたしはわあと叫んで耳をふさごうとしましたが、おじさんは、
「あるんよ、あるんだよ、依存性のない多幸感があるんだよ、でももう一度欲しくならないから、みんなが知らないだけなんだよ」
 と逃げるわたしを追いかけてきては、耳元で繰り返しそのようにささやくので、その五回目以降には、おじさんが言うよりも早くわたしの口がそのセリフを勝手につぶやくようになるほどでした。そのような無理やりな智慧を教育と呼ぶのなら、教育と言うものは厳しく苦しいものですが、こんな教育もあるのですか。もちろんわたしは義務教育以外の教育は断固として拒否します。もちろんとりわけ依存性のない多幸感のことなんか知りたくありません。
 ありません…、とあたしは言いました。でも… とあたしの胸の深い直感がささやいてきます。もしかしたらあたしは、もう一度欲しくならないだけで、そんないやらしい楽しみをすでに身体で知っているのかもしれない。そんなふうに思うんです、嘘だと言って。でもあたしがそのことを知ることはないんです。死んだほうがいいですか、いかがですか?
 大人の世界は恐ろしい疑惑に満ちています。

自給自足をしていると…

 或る男が森で自給自足をしていると、特許局の役人と名乗る男が訪ねてきた。
 そして言うには、その男が自給自足するために行っている様々な工夫は、様々な人の発明によっているがゆえ課税の対象となるということだった。
「あなたの生き方、それこそがまさに特許番号五十九番、つまり聖書の次に生まれた発明で、同時に課税対象なのです」
「わたしは何も持っていない。支払えない」
「それでは刑に処せられるということになります」
「何をされるのです?」
「要するに殺されます。今では発明と人頭税は同一視されているのです」
「何だ、それは。第一、その工夫を考えたのはすべてわたしだ。わたしは孤独にひっそりと生きていて利害関係などだれに対してもない」
「そんなことは許されません。第一マザー・メアリーの存在を無視しているじゃないですか? すべてを一体化する光の下で、あなたが物事を一人で考えるのは無理ですし、利害関係をひとりで片付けられると思い上がるのは大変な傲慢ですよ?」
「警句を言おう。何を嫉妬する? 浮気するぼくを? すべてを持っているお方がほんとに嫉妬深いこと」
「ではわたしも警句でお返しします。無能な美女は存在するだけで価値がある。それがゆえ、美しく無能な妻こそ、いや無能な妻だけを、ただ人は愛するだけでなく愛し続けることができる」

寝てもさめても楽しの夢や?

寝てもさめても楽しのうたや。
寝てもさめても楽しの夢や。

自分の歌う歌ばかり聴いて
自分の踊る踊りばかり見て

 楽しのうたや? 楽しの夢や?

 薬の作る楽しのうたや。薬のかもす楽しの夢や。

「おっちゃんはだかやで? ねえちゃんみてるで?」

 楽しの夢や? 楽しの夢や?

「かあちゃんみてるけ? とおちゃんみてるけ? ああ」

 薬の楽しの作るのうたや?
 薬の悲しのかもすの夢や?

 ぼくのかみさまにも姉ちゃんみたいに六つの指があればいいのに
 ぼくの妹にも姉ちゃんみたいに三つの腕があればいいのに
 りりりん おいでよ 楽しのうたや
 りりりん おいでよ 悲しのゆめや
 六つの指がいいな たまらねえや 六つの指や?
 三つの腕がいいな たまらねえや ぎゅっと抱いてよ、りりりん。
 きみみたいに十八の指があればステキだな、数え間違えていたらすまん。
 ぼくの妻も家族も友達もきみみたいにすてきじゃない、なに普通だよ。指が六本あるわけじゃないし、腕が三本あるわけじゃない。だから、ぼくはきみに、お金を払うんだ。

 寝ても冷めても楽しのうたや?
 寝ても冷めても楽しの夢や?

少女のような女たちに囲まれている

 少女のような女たちに囲まれている。ひどい誘惑だ。ほとんど少女のような女たちが後宮にはたくさんいるのだ。クレオパトラの王宮も、わが楊貴妃の後宮ほど、ひどいことはなかっただろう。三人ほどわたしには気にかかる女がいて、わたしの定義によれば、抑鬱弱体化による誘惑、いわば「傷ついたわたしをなぐさめて」をわたしに引き起こす。その誘惑は、わたしが宦官であることを突き抜けて、わたしを堕落させる。この力は、アフガニスタンでは様々なカリフをしてハーレムを構成させたものと同じであろう。いわば所有に近いフェティッシュであり、家に置いておきたい魅力である。一眼で男の眼に自分の姿が焼きつくように、何世代もの歴史を通じて彼女らの顔や身体は形を変えてきて、洗練されており、様々な凹凸で飾られて、智慧や戦闘心や勇気を完全に役に立たなくさせる動きを身体の各部分が行い、その顔の各部分の動きをたとえ忘れようとおもっても、その形や動きは、積極的に男の記憶の中に鈎爪で自分の場所を確保し、そしてまた、自分がその男の前にいないときにすらその爪はときどき血を流す。およそ百人に一人ぐらいの割合でその種類の女が目立たないようにすべての男の記憶や欲望をかき乱しながら、エネルギーを放散させて歩くのを見つける作業から始まる。専門の役人が彼女を引き取ることを家族に申し出る。あるいは、町を出て、いろいろなところをさ迷い歩いてハーレムに集まってくる少女たち。彼女らはおとなしくて話すこともできない顔をしている。もう殴られたような顔をしている。しかし彼女たちが歩いた足跡の分だけ家庭は壊され、若い理性は堕落しているのだ。その他の女たちは、彼女たちが存在してしまったからには、一体どうすればいいのであろう? ところが逆に、男をかき乱しはしない多数の女のほうが世間で生きてゆくのである。その特殊な女たちはそうしてハーレムに集まってくる。つまり世間で生きてゆくことがとてもできないので自分が持つ唯一の財産を無意識のよりどころとしていつのまにかここにたどり着く。生存を犠牲にして美しくなった特殊体の美女たちは実際、自分の居場所がこの世界には全然ないことを知るであろう。なぜならいかなる天才の場合でも能力者の場合でも、そして美女の場合でも、すべての少数派に対しては世界は前もって用意された居場所を用意しないからである。こうして人々の前から少数者たちは急速に消えてゆくのだ。町で一番の美女の消息ほど思い出せないものはない。そうした小数の美女たちの一部が集まってくるのがわたしが暮らしているハーレムであるが、そうであるから、彼女たちは生存をあきらめている。生存をあきらめているがゆえに、毎日が命がけであり、上位の女官との女同士の恋は、常に二人以上の殺害の結果に終わる。そうした少女たちがわたしを絶え間なく誘惑している。
 わたしに対する女性の誘惑はそれだけではない。たとえば肌の露出や足の形、多種多様な胸の質感や形状などもまたわたしを苦しめるのだ。問題はそこにいかなる飾り気もないことであり、そのために若い少女たちのちょうど狂おしい匂いがぷんぷんしている。問題はさらにそういった少女たちがたくさんおり、そのような単純な量の拡大がなかなか以外と厄介であり、わたしはそれらの欲望を遮断するのにひどく苦労するのだ。

 実はそうしたことは町でも起こるのだ。近頃なぜかそうした欲望を感じるのは、模倣欲が強く働いているからだろう。つまり若々しい、恋に充ちた少女たちの、むせりかえるような性欲と恋の中で生活し続けているわたしにはもはや様々な男や女から発せられる性欲の流れを視覚化して肌で感じ取ることができるほどである。つまり年をとればそれなりに偽装したり抑えたりすることができるようになる性欲の受動態や能動態がここでは抑えられることを知らずに現れては消えてゆく。ところが我々はその欲望を一歩進めることすら許されておらず、途方に暮れたまま、互いの顔を眺めてはため息をつくのだ。こうしてわたしたちの一部は政治に慰みを覚え、その更に一部は文学に慰みを見出す。しかし、その政治は、ハーレムの女たちの性的権力闘争の単なる模倣の影にすぎず、そしてまた文学は彼女たちが愛する年下・年上の女性に書く愛の手紙の情念の薄まった形態に過ぎないのだ。
幼児偽制

 ある女たちは、顔をもはや童女のごとく幼児化させ、エネルギーを節約することによって異性をひきつけて生きてゆく。わたしはその生き方を幼児偽制と呼んでいる。頭が大きいこと、脳が大きいこと。幼児性、つきでた口唇、ひろいおでこ。つるつるであること、ざらざらしていないこと。眼の大きいこと。丸っこくてふわふわしており脂肪があること。
 その顔は単なる表情のいくつかの単位の組み合わせに過ぎない。多くの場合彼女らは発音できる口さえ持っていないことさえある。つまり顔を幼児化に特化するあまりに頤が欠けてしまったのだ。あるいは、その他の機能的部分が。その他にも、表情の機能が衰退し、笑顔だけがずっと張り付いていたり、二・三のパターンによる反応の繰り返しであったりする。その顔が、まるで独立した生命であるかのように胴体に張り付いているが騙されてはならない。実はその胴体こそが彼女たちの本体なのだ。その胴体はさらに簡約化されており、ひょろりとした体格が多く、あるいはほとんど注意されないように省略されてある。その幼女に偽装された顔の微笑みだけで世の中をやりくりし行き抜き、それ以外のエネルギーを節約し、省いてしまうことによってもはや彼女は女と言えども別の生き物のように見える。もちろんそれは見分け方を教わっているものにとってのみであるが。
 その顔にひきつけられた異性が結合した後に、その他のパーツが以下に簡素に造られており、多様性に欠けるかを知るであろう。その造りはずさんであり、張りぼての身体であるとすら言えるかもしれない。しかしそれはそれでかまわない。だからこの幼児偽制という生態は存在してきたし、存在し続けるだろう。
 このような不感症的表皮の発達はむしろ進化の高等技術に属しさえするのだ。
 げにおそろしきはその胴体よ。たこの吸盤のごとく、すっぽんの口のごとく、一度接着した獲物を離すことがない。またその目的に特化された本能が肥大化していることでその目的をよりよく果たすように作られているのである。
詩 二匹のメス豚の物語(彼女らはひどく匂った)

 おお 死にたい死にたい ねぇ いっしょに飛ぼうよ
 死にたいでしょ? だったらいっしょに飛ぼうよ ねぇ もうやめなよ
 むだだって 何してんの? むだだって 死にたいでしょ?
 だから いっしょに飛ぼうよ
 この世は一瞬の夢 あの世は虚無の墓石
 だから飛ぼうよ ひとりじゃこわいから
 だからいっしょに飛ぼうよ ひとりじゃこわいから
 おお 死にたいでしょ? いつも言ってるじゃん
 あたしもそう思う ねぇ むだだって そんなんやっても
 だから飛ぼうよ いっしょに ひとりじゃこわいから
 だから一緒に飛ぼうよ あと一段 ほら、下を見て 今だ。

最後のインディアン

 最後のインディアンが息を引き取ったとき、インディアンの差別を罰する法律ができた。インディアンの村が朽ちてなくなろうとしていたとき、議席の十個をインデアンのために確保する法律ができた。インディアンの残した品物がほとんど見られなくなって五年経った後、インディアンのための専門の居住地ができた。最後のインディアンが息を引き取った百五十年後、インディアンの独立を認める法律が議院を通過して、インディアンは一民族としてのアイデンティティを獲得した。

ある友情

 あるとき、Yとご飯を食べていたとき、ぼくはYに物事の真相を捉えるのがいかに難しいかについての話をでっちあげていた。その返礼なのかなんなのか、いきなりYが話し始めたのが次の話であった。
 かつて仲のよい友人二人がいた。どんなことについても互いに話し合い、互いに知らないことは何一つとしてないほどだった。二人は政治または文化の方面の道を志し、努力していたが、その努力は実ることはなく、成功は訪れる気配もなかった。しかし二人はそれでも幸福であった。ある日、片方のうちの一人が死んでしまった、そのところに、国の役人がやってきて、
「あなたの今までの仕事を国が認め、是非社会全体のため、国家のためにあなたの力を借りたいと思いやってきました」
 といって、高官になることを約束し、ぜひそうするべきことをお願いするのだった。しかし、男は答えた。
「わたしはわたしの仕事を本当に理解できるただ一人の人間を失いました。もうわたしにはその仕事を続けてゆく目標も意味もありません。わたしは自分の仕事でただ一人感心させたい一人の人間を先ほど失ったばかりなのです」
 そういって男は説得に応じることはなく、家族からも離れて、ほとんど何をすることもなく生計だけは何とか立てながらそれから後三年生きたが、その後、亡くなった。
 ぼくはYのその話を聞いたとき、ぼくが完全に間違っていたことが分かって恥ずかしくなって、黙り込んでしまった。



Tはだれとも文字の使い方が同じではない。Tは後ろから難渋に苦しむ性だ。・Tはハープシコードを弾くことを覚える前に過去を知ることはない。ひどくかすれていてみすぼらしい、血を蒸留させて何度も塗りたくったようなそんな過去を。・Tは愛を知る前に、いわゆる血の世間が一体どのような手段で彼を手なずかせていたかを知ったことは一度もない。血を蒸留させて何度も塗りたくったようなそんな手段を。・Tは酒を知る前に、自らがどのような、かたい壁に囲まれて身動きが取れなくなっているかを知ることは一度もない。ひどくかすれていてみすぼらしい、血を蒸留させて何度も塗りたくったようなそんな壁に。・Tよ。

Kさんからのおふれ

 KはかつてY校で男たちに5千円で春を売っていた。
 夏のある日、授業中に漫画「ちんゆうき」を読んでいたとき、次のような紙が回ってきた。

 Kの利用について(Kより)

1、挿入・挿出時間は必ず厳守すること。性則を守るべし。特に時間は大切。時間にルーズなものはセックスを許されない。また、合図と同時に、「勃起、気をつけ、礼」の号令でセックスを始めること。またそして、「三分前の股間の洗浄」「一分前の着床完了」を心がけること。セックスは常に時間との競争。行動はすばやく行うこと。

2、セックス中での私語・筆談・居眠り、携帯電話及び音楽機器の使用・操作を一切禁止する。(時計代わりに携帯電話を腹部に出すことはできません。)

3、わたしへの質問以外のセックス時間中の挿出・離穴はこれを罰し、また同時に禁止する。やむなく中断する場合は、金額の追加あるいはマネージャーの許可を得ること。

4、寝室に、またそれに準ずる場所に荷物を置いたままのセックスや外出は認めない。その場合には荷物を撤去する。自分ひとりの寝室でもわたしでもない。マナーを守って使用すること。

5、寝室、あるいはそれに準ずる場所を退出するために脱穴する際、腹の上の鼻紙のくずや消しゴムのかす、漫画の断片や写真、ごみ類は自分で回収し、ゴミ箱に捨てること。次の人が気持ちよくセックスできるようにしよう。

6、始めた性行為は終わらせなければならない。

7、他の異性との同衾の禁止は、性行為のための必須条件。セックスできる環境を守るべし。他の異性の部屋や友人の部屋への入室を禁止する。入室したものも入室させたものも処分の対象とします。

8、団体セックスの基本は他人を思いやる気持ちを持つことである。
@団体セックスは、自宅でセックスするのとは勝手が違うのが当たり前。常に周囲に気を配ること。
A些細な言動で他人を傷つけることを知るべし。自分勝手は通用しない。
B皆が同じくセックスしている。虚勢を張る必要はない。肩の力を抜いて行為に当たるべし。

9、セックスは明るく元気が一番。明るいものは必ず絶頂へと達します。プラス思考が快楽を呼ぶ。大きな声で挨拶することが一番である。「こんにちは」「よろしくおねがいします」「いただきます」「ありがとうございました」等気持ちよく挨拶すべし。

10、スランプ、それに準ずる困難に陥ったときは写真を用いてもかまわない。

人魚の前での懺悔

 深みの泡からTがはいだす
 血のような心 こころの血だ 吐いた植物
 鉄がまるで腹から抉り出させるようなあの鈍い痛みが
 わたしに 妻としての 教えを 教えを 師を 妻として 師を
 深みの泡から錆びたアルミの師を
 愛する人のために わたしは
 さびを止めることの出来る魔法を欲する。
 美しく気高い 黄色い胆汁のなかで
 つねにあぶれた肌とくびれへの流れから
 多くの不協和と断絶をなくしましょう
 つるつるぺたぺたまあるくありたいのです
 すべすべつるつるぺたぺたまあるくありたいので
 そうあるために自然に反してまで魔法を
 愛する人のために 教えを 師よ 我に非―人間を 非―女を
 つるつるぺたぺたまあるくすべすべの非―少女を授けたまえ 深みの泡の中の消えた恋人よ
 海の中に落ちた空想の中の魚よ
 おまえは徹底していた 尊敬するぜ
 わたしを弟子にしておくれ
 おお、だからあたしはいつも、だれの中にも入り込めなんだ。あたしと同じ海、同じプールに漬かっている人さえいないんだ。だとすればまったく途方もないわ。

ぼくの小さな妻は

ぼくの小さな妻は―まだほんのたったの十三歳ですが―黒板けしとにらめっこしても負けるほど知能が足りません。まだ物質ならいいですが、猫などの動物とにらめっこするなら目を回します。ふらふら、よれよれとよたれかかってきて、ぼくの肩でようやくいきをつくのです。もしも人間とにらめっこしたらどうでしょう? もはや妻は人間を見ることができません。突如かっと眼を見開き、恐怖で目がピンク色に染まったかのように見えると、何かが千切れる音がして、何もなかった、何もいなかったかのようにして、飲み屋の玄関の上でシャボン玉を吹いているのです。

母さんへ

 夫を失って初めての仕事に行く妻が、車を路肩にとめて休んでいるときに、ふと気づいて電話の録音機能を再生した。
…「母さん、こちらはともやです、ぼくらは母さんにいわなくちゃいけないこと、あー、いわゆる、知らせたいことがあります…ぼくらみんな母さんのことが大好きだよ。ぼくらは父さんを失って悲しくてつらい、けれどもそしてなおいっそう母さんがそのことでどんなにか悲しんでいるかを知ってます。でも大丈夫だよ、ね、そうじゃない? …お母さん、さとしだよ、運転気をつけてね。どうかお願いだから。ぼくらは今実は食事の準備をしています。母さんが戻ってきたら食べようとおもって。あー、母さんが戻ってきたら食べようとおもって。無事に帰ってきてね。お母さん、とよしです、父さんは今かあさんの隣にきっと座っています、だってそうじゃない? ぼくには分かってる。父さんはそんな人だったじゃない? だから父さんにぼくからよろしく言っておいてね。ぼくらはあなたのことが大好きです、母さんへ」                   (センター試験用朝テストより、抜粋)

勤労少女十一歳

 …わたしはお父さんのために三年間も地下で働いています。お父さんは朝の二時にわたしを地下の下のほうに下ろし、翌日の午後の一時か二時にわたしはあがってきます。そして、あしたの朝すぐに仕事にいけるように、夜の六時に寝ます。わたしが入る炭鉱の部分は、入り組んでいて蟻の巣のようになっているだけでなく、鉱層がまるで刃のようになっています。わたしは石炭を背負って、脚立ないしはしごを四つのぼり、やっと炭鉱の端に通じている主坑道にでます。わたしの仕事量は、桶に四から五杯で、桶には四と四の四分の一の百倍の重さだけ入ります。わたしは二十往復で桶をひとつ一杯にします。命令どおりにやれなかったときはムチでぶたれます。身体はきついですが、父さんに見捨てられるのがこわくって、楽なふうに仕事をやろうとするとき、自分をいつも戒めます。戒めるといってもイエス様に祈りを上げたり、マリア様に力をもらったりします。父さんのことが大好きです。すごく優しいので一生一緒に暮らして、大人になればちっちゃな父さんの支えになることがわたしの夢です。上のほうに上がっているときには、大体家族の人たちがいないので、ゆっくり休むことができます。弟がいるときには、いつも弟は怪我をしたり、心が不安定になっているので、ずっとついていなければなりません。ひとりでいるときは、壁に背中をついて半分眠りに入りながらもっと楽な生活のことを考えているときがわたしの一番の幸せで、そんなときに父さんが家にいてくれたら、なみだがでるほど嬉しく感じて、おかしいと思われたこともあったほどでした。父さんは、
「明日があるんだ、きちんと意識を失って、眠るんだぞ」
 といってくれます。わたしは自分の家族の人たちほど優しい人たちを見たことも聞いたこともないのでそのことを考えるだけで涙を流してしまいます。家族のことが大好きで、もっと心が強くなったら、自分のすべてを犠牲にしてでも家族のためにつくすようになれたら、と祈っています。でもまだまだわたしのこころは邪悪な怠惰に充ちていますので、倒れたり耐え切れなくなって眠ったりすることがよくあるのが、とてもつらいです。…
          (世界史図説資料集より抜粋)

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文芸同好会 残照