文芸同好会 残照

View Master

背景色:

文字色:

サイズ:

残照TOP  [ ジャンル ] 小説   [ タイトル ] 池牛かばねと聖なる五芒星(2)

池牛かばねと聖なる五芒星    水原友行

 |   |   |   |

二章 聖なるペンタングルとパーフェクトサークル
 
 
  1 かばねと多麻ゆら
 
  わたしの友人の一人、多麻ゆらは、高校を卒業した後、真っ先に秒殺しで実家を飛び出した(あたりきしゃりきっしょ? だって、あの家だよ、だれだって、そうするし、そう望む)。そして今現在、国道沿いに存在する、無意味に町全体から孤立した場所、後ろには山、前には広大な畑が広がり、一軒の人家も視認することすら難しい、一番近いコンビニに自転車ですら二十分ぐらいかかる、車がなかったらどう生きよう、と悩んでしまうような、だれか犯罪者とか隠れる必要がある重要政治家とか不法滞在する外国人とかのために建てたのか、本当によく分からない、格安のアパートの一番奥の窓側に住んでいた。端っこであるというメリットは後ろに聳え立つ崖によって意味が相殺はされてはいたけれど。
  どこでもいいから車を止めて、降りたわたしは、慣れた調子で、実際慣れているんだけれどね、記述的にはそういわなくちゃね、慣れた調子で、ドアの外から、
  「ゆら!」わたしは叫んだ。「ゆら! いるんでしょ!」
   わたしは確信していた。「ゆら! どうせ、どこにもいくとこ、ないんでしょ! あんたってぇ、やーつは。ゆら! いるんでしょ!」わたしは、鍵すらかかってないドアを開けて、窓とかカーテンを開けながら、三つ目の部屋にまでとことこと入り込んだが、ゆらの姿はそこにもなく、ただ壁と壁との間に布団の山があるだけだった。
  しかしながらわたしはゆらの友達だった。だから、そんなことはお見通しのみの字の予言者の分かったもん勝ちの分かっただけ損だった。だからわたしは猛然と残酷に容赦なく手加減もしないで、布団に向かって「この引きこもりめが!」と叫びながらけりを入れた。すると、布団の奥から、
  「うふぅ」
   と声が漏れた。
   その後、
  「万事休すのバタンキュー、オバキュー、バイバイキーンぅぅ」
   と始めは威勢が良かったが、途中から、よほど痛いところにけりが入ったらしく、まじで痛いわこれ、という声とうめき声に変わっていった意味不明のメッセージが聞こえた。わたしもなんとなくのノリで、「このバンパイヤめ! よくも愛すべきわが町の人々を蹴散らしてくれたな。そんな人の生き血を吸って生きる根暗な生き物には、こうだ!」と言って、布団を無理やり剥ぎ取ると、何と哀れなパジャマに身を包んでいるんだろう! ゆらの姿が現れた。現れたと同時に、自分の生物体としての属性を思い出したらしく、
  「フシューゥゥゥ」
  と太陽の光によって溶ける音なのであろうか、ゆらの見えない口からそんな音が漏れ出してきた。
  繰り返して言うが、何と哀れなパジャマに身を包んでいるんだろう! ゆら! ゆら! ゆらときたら、それ中学生のとき着ていたパジャマじゃんか、これ。ゆらは綺麗な娘なんだよ。しかも年頃なんだよ。それなのに・・・ わたしはそういおうと思ったが、気付いたことすら隠蔽しようと試みた。わたしという人間は、自分がそうするときもそうなのだが、他人が幼児退行しているときにその他人の言動に対して大変寛容で優しいほうの人間なのだ。だって、たまには、生きていたら、幼児退行だって、甘えだって、赤ちゃんプレーだって、何だって、とにかく幸せだったと思われるときに戻っている振りぐらいしたくなるじゃんかよ。そうじゃないんかよ、だったら、もうわたしの言葉は君の鼓膜まですら届かない。非相対性理論的現象だよ、どうしてくれる。
   ゆらが布団を平面状に倒しながら、同時に、その布団の中に布団に包まれながらくるまれながら繭のように寝転ぶという曲芸を見せてくれながら、倒れこんできたとき、わたしはそれを避けなければならなかった。
   そして、すべてのこういうときの幽霊がそうであるように、幽霊のように生きている人間もまたそうであるように、髪をまえにたらしながら、わたしにしがみついてきた。そして何かをつぶやいた。
  「何?」わたしは訊ねる。
  ゆらは繰り返した。「ねえ?」
  「わたし、もう、睡眠薬をだいぶ飲んだから、いま、こうしてかばねちゃんと話していることも忘れているかもしれないよ」ゆらはまた繰り返した。「わたしねえ? 睡眠薬をだいぶ飲んでしまったから、おぉ、オーバードーズしちゃったからに・・・ こうしてかばねちゃんと一緒にいるということすら覚えていないかも知んないよ、惨めじゃん。とっても、惨めじゃん。なんて、惨めなんだろ、悲しいんだろ、あたしってぇ、やーつ!」
  そう言って、枕を蹴った。ゆらが一日の大部分をそこですごす布団の上。つまりカビの生えた万年床というやつだ。わたしは、ゆらの大事な何かが傷つかないように、いや、大事ではなくてもゆらが少しでも傷つくのを見るのは長年の生まれてこの方一緒に過ごしてきた友達が傷つくのはとってもいやな気持ちになるのだから、やさしく布団の柔らかいほうへと彼女を突き飛ばした。
  わたしは、「何か食べるものはないのけ?」と訊いた。
  ゆらは答えた。
  「あるわよぅ。たっぷしぃ。げんに、さっきまで何かをつまんでいた記憶があるし」
  しかし、狭いダイニングルームに行って、ゆらの使っている小型の、誰かの使いまわしだろうな、冷蔵庫を開けてみたとき、わたしはびっくりすると同時に悲しくなった。わたしにとってはなにも入っていなかったのだ。
  「ゆら! んなんだよぉ、これぇ! 死ね! 何も入ってないじゃんか、この冷蔵庫」
   ゆらの声が遠くから壁越しに、小さく、聞こえた(恥ずかしがっているのか?)。
  「・・・何もはいてないことないってば。よく見てる? がち? だって、さっき食べたんよ、まさにその冷蔵庫から・・・」ゆらが主張している。許せんな。「まさに当該冷蔵庫から、かばねちゃんに対して繰り返して物を言うなんて失礼はしたくないけど、言わせてもらえば、さっき何かものをつまんだばかりだっつーの!・・・」意外と弱弱しかった。
  わたしは追撃した。
  「ゆら! まったくぅ、なんにもぉ、入ってやがらないんですけれど! 入ってやがらないじゃんか、くそ死ねばーか!」
  冷蔵庫には、ただただパズルのようにビールの缶とかチューハイの瓶とかが三月のひな祭りの祭壇の約一億倍の密度でギリギリまで並べられ、敷き詰められていたのだった。見事な高等数学の定理でも眺めているかのような錯覚に襲われた。目がくらくらした。ゆらは綺麗な娘なんだよ。もういい年頃なんだよ。同級生では結婚して子供を持っている人だっている。それなのに、ゆらは・・・ 
  「ゆらのくそしねばーか」
  自分の目じりに涙が瞬時だけ浮かぶのを感じた。いわせてもらうけれど、一瞬だけだよ、一瞬。わたしはこの指宿地方にはびこるアルコールの過剰飲酒という風習に対して、個人的に大変厳しい意見を持っているのだ。そしてもし大切な人がいるときにはその人と同じ意見を分かち合いたいし、もし大切な人であると同時にその意見を分かち合うことが不可能であることが分かったときには、とても悲しい気持ちに襲われる、ただそれだけ。ただそれだけの極めて人間的な感情について述べているつもりなのだけれど。
  わたしは、「どこ? どこいくのよう? いかないで。いかないでよう!」と叫んでいるゆらをほっといて、というのはゆらは大切な人が去っていくときですら布団の中から出ることすらできないで悲しんでいるだけかもしれない種類の人間であるからわたしは安心してほっといているのだが、車のほうへと向かった。いつものことながら、わたしはゆらのために、大漁の乾物やぱん、そしてアルコール分がゼロである飲み物類などを、ゆらの家に行く前には買いだめしておいているのだ。(無駄になっても知るもんか。無駄になるのなら、ゆらは食べていけるということだし、わたしの胃も満たされるというものだ。なんと、出費以外は一石二鳥ではないか。)たくさんの食糧と飲み物が入ったAコープの袋をもって、ゆらの冷蔵庫のまえに立った。
  さーて、どうしましょうか。ここからは、単純な四則演算では通用しない、高等数学が必要な世界なのかもしれない。
   わたしはとりあえず、単純なイコール関係における移項の概念に立ち戻って、何本かのビール缶を取り除き、そのかわりに、人体にとって本質的な栄養分になると自分が信じているものを詰め込み始めた。もちろんゆらも自分なりには同じ事をしているのだろうけど。(これはほんとうに皮肉じゃないんだよ。もの知らず様。あなたはたぶん、この指宿地方でどれほどまでに過剰飲酒の習慣がはびこって入り込んで浸透して人間の一部になっているのかご存じないのだと思います。だから、ゆらが、アルコール分が人類にとって、不可欠な栄養分を含んでいるということを体感しているといったとしてもここでは全然異常でないということをその微妙な感覚、違いを理解してくれないと思います。)
   いつのまにか、わたしの背後に、ゆらが仁王立ちして、にくしんでいるのか、悲しんでいるのか、それとも途方もない逆説的な技法によって甘えているのか、よく分からない表情でわたしを睨み付けていた。ゆらは叫んだ。
  「偽善者!」
  このゆらの言動を聞いて、驚くことは、何もありませんよ、皆さん。というのは、ゆらはひとに「偽善者!」という言葉をきつく発音するだけで誰かの本質を根本的に傷つけることができると信じることができるほどに純粋な人間であり、そして本を読んだことがない人間なのだ。
  「偽善者でいいわよ、わたし。知ってる? わたしって偽善者でむしろあろうとしている人間なんだよ、すごいっしょ。ところで、今日の夜は、お仕事?」
  ゆらは、いろいろ畑関係を放浪した結果、今現在の状況として、地元開聞町に二つしかないスナック居酒屋に勤めていた。勝手にサボったり、仕事を適当に飛ばしたり、片付けもせずに帰ったり、気に入った客には付きっ切りでいやな客を拒絶したり、客商売ではありえないような暴言を吐いたりしてすぐにその業界で名をはせることになったが、その神経の繊細さと細美しさは本物だったから、いやみを叩かれるだけでいまのところはすんではいた。ママや同業種のホステスたちには激嫌われていたけれども、ゆらについている客がたくさんいて、ひとつの看板であったことは間違いなかったので、それが痛々しいこと限りなかった。
  ゆらの行状でいちばんひどいもの、そして同時に一番悲劇的なものはその虚言癖であった。あまりにも悲惨な家庭で育ったからでしょうかね。父親は仕事に行かずパチケイに現を抜かしてあわれな妻とはけんかばかりしていて、その両親がまたともに、ゆらに暴力を振るっていて、しかもアルコール依存症であって、近所迷惑であって、警察迷惑であって、社会的害悪であって、いじめられネタ・いじりネタまんさいであった。だから、ちいさなころからゆらの空想癖には周りを閉口させるものがあって、すごかったんだよ、まったくさ。次から次へとうそだけを並べて積み上げる競技があったら、世界的にもいいとこいくんじゃないかな。でも、分かるでしょ? ゆらはすっごく綺麗だったから。それにうちらもついていたし。鼻も伸び放題よ。だけれど、家帰ったらあれでしょ? だから、外では嘘をつくんだよ、そういう仕組みになってるの。システムなの。必然なの。摂理なの。
  だからゆらは酔っ払ってときどき客の肩をつかみ、踊りながら、こういうんだ。
  「あたしは将来の歌手なんだから! 今だけだと思っているんだよ! こんなふうに触ったり、あたしの側にいたりすること。いまだけできるんだとおもっていいんだから!」と。
  ゆらの歌が下手であるというわけではなかった。そういううそつきではないんだよ、分かってくれるかな。
  そればかりか、ゆらは驚くほど歌がうまかったんだ。もはや天使の歌声。泥沼から這いずり回って出てきた蓮の花が美しいという仏教の理論は本当に正しいかも知んないな。ゆらの歌のうまさは本物に違いなかった。客とかは自分でお金を払ってゆらに歌を頼むこともあったほど。けれども残念なことながら、歌のうまさが本物であるぐらいでは歌手になることができないことなんかだれでもが知っていることでしょ? 圧倒的に歌がうまいというだけで歌手になることができると思ったら大間違いであるということほど悲劇的な事実はないよ、本当、言わせてもらえば。もちろん圧倒的に歌がうまいということは歌手になるための必要条件であることは間違いない。ところが、本当に本当の本物の歌手になるためには、それ以外のある大切な、歌手であるための途方もなく大切な何かが必要であるということもみんなうすうす知っていることなんじゃないかな。
  ひとつ言わせてもらえば、ボブ・ディランとか尾崎豊とか、もしかしたらジョン・レノンとかですら、本当の意味で歌がうまかったといえば、そうじゃなかったんだと思うんだ。けれども彼らには圧倒的に、歌がうまいという以外の、歌手になるための、世界に向かって歌を歌う歌手になるために必要な、とても大切な何かを、本当に小さな頃から持っていて、だからこそ歌手、しかも圧倒的に天才的な歌手になったと思うんだよ。私はそう思っているんだよ。確かにゆらのように圧倒的に歌がべらぼううまいという田舎小娘は、カラオケが当時からもうすごくはやっていたから、日本国中にあふれかえっていたと思う。けれども、そのようなゆらのような小娘が歌手になることは絶対にないだろうな、と周りどころか本人だってそれぐらいのことは分かっている。悲劇じゃんか、そんなの。その他、女優とかモデルとか果ては女社長にあたしはなる!とか行ってねずみ講に引っかかったりと。あなたはそれでも手がうにょうにょと伸びたりする漫画を読むことによる若者の精神における弊害について否定するのですか?
   ながーい考察、ごめんなさいね、つまりゆらは時間を飛ばして現在に戻り、応えた。「いや、今日は、やーすーみーっ」息を溜めた。「な・の・で・すうぅぅぅ!!」無意味にノリノリだった。袖にまとわりついてくる。
  「ねえ、海に行こうよ」ものすごく素敵なことを思いついた声でゆらは言った。「ねえ?」
  「海? いかんよ、そんなの」わたしは答えた。「行って何になる? なんもならんしょ。なににもならんでしょうが」
  ゆらがめらめらと怒り出した。
  「まだ行ってないもん」ゆらは言った。「まだ行ってないでしょが。まだ行かんのにどうしてあんたわかるんだろ? 何にも分からないがね。それともあんたわかるんか」
  がちで怒っていた。すごいな、とわたしは思う。わたしはゆらの感情の色合いを愛している、友人として綺麗だな、と思うだけじゃなくて、一般的な意味でも素晴らしいと思うし自慢に思っている。だからゆらがまったく完全無欠に怒髪天に達しているのを眺めながら、わたしの胸中に恐ろしいものが去来してきたといっても驚かないで聞いていてほしいよ。つまりあふれるような友情の奔流と言うべきものがわたしののどにまでせりあがるようにして噴出してきたんだ! (恋情とか愛情の奔流があふれかえってくるという現象についてはわたしもそれまで経験として知っていたんだけれど、友情の奔流というのもあるんですね。人体の神秘とはまことに無限に多様で尊いものですね。)
  「・・・う・・・う・・・あー、いいでしょ、いいでしょ、いいでござんしょ。海、いいでしょ。でも、ちゃんとした事をしてからなあ、まったくね」
  わたしはついそう答えてしまった。
  「やっぴー! ゆびきりーす、ゆびきりぎりーす!」
  無意味にノリノリだった。
  「ちゃんとしたことをするんだよ」
  わたしはびしっと言ったが、もはやゆらの鼓膜は、自分にとって好ましい情報だけを捉える便利な道具へと退化していた。
  「するよ、する。でも、多くはできないから、ひとつだけにしてね? 布団を直すとか」
   ゆらはそう言った。ここで驚くべきことを言うとするなら、こうゆらが言ったのは、けっしてわがままとか甘えとか逃げとかいったばかげた子供じみた理由からじゃあないんだよ、いっとくけど。信じようと信じまいと、ゆらが言ったことは、ほんとのほんとの真実を語っているだけに過ぎなかったんだ。つまりさ、なんか、この種のことってうまく言えないな、難しいんだけれど、ようしてさ、ゆらはまさにゆらが言ったとおりにほんとのほんとに一度にひとつの物事しか飲み込むことができなかったんだ、昔からいままで。ほんと。まじで。信じてよ? ゆらはね、何か言いつけようとするでしょ、そしてもう一度何か別のことを言いつけようとするでしょ、そうしたら、まえに言いつけたことを本当にまじでガチすっかり忘れ去ってしまうというまさに驚きの特殊体質の持ち主だったんだ。信じられないという人がいてもこれはおよそ二十年間続いてきた真実だ、わたしだって撤回するつもりはないからね。だから、わたしはもう、なんかどうでもよくなってきて、ゆらに、
  「じゃあね、このお布団の上にお座りなさいな、子猫さま」
   と言った。
  「布団の上に?」
  「そう」
  まさにゆらはそうした。
  「いまからわたしはひとつの質問をするから、それを耳をダンボにして聞いて、答えてくれないかな、かばねのために」はずかしながら、わたしは、自分自身の事を時々自分の名前で呼んでしまうと言う特殊な性癖があるんだ、子供みたいだな、と思わないでほしいな。というのは、論理的に言えば、わたしは自分と自分の名前に本質的な違いはないと信じているからそうしているんであって、そうしてしまうから。だれが何と言おうともわたしの間違いを正す必要はありまへんな。
  「ひとつ? 質問? クイズ?」ゆらは言った。
  「まあ、そういう種類のものよ」わたしは言った。わたしは続けた。
  「ここに一人の少女がいました。そしてその少女にはその胸の中に秘める、愛する少年がいたのです。しかし少女は自分の気持ちを伝えて、『あなたのことを愛している、アイラブユー』と伝えることができないのです。なぜなら、その言葉を受け取ってくれるか、肯定してくれるか、少女には全然分からなかったからです。どう、ここまではよく分かったかね?」
   ゆらは、眼を上に泳がせながら、おそらくイメージしようとしているんだろうな、うんうんとうなづいた。
  「おそらく、理解したと思うよ?」
  「よし」
  わたしは続きを語る。
  「少女が少年に思いを伝えることができずに、苦しんでいたところ、そこに、まさに突如風がビュー、ススキの穂が揺れるぅ、何が起こった。神様が降ってきたのです。そして少女に、すべての未来を教えてあげよう、と身を乗り出して、提案してくるのです。少女はいきなり現れた神様がどうして自分に始めて見たものなのに神様だと分かるようなお姿をなさっているのか大変不思議に思いましたけれど、よっぽど神々しくて、拝みたくなるような、神様っぽい感じのお姿だったんでしょうね。少女は気おされて、は、はい、とうなづいた。では、と神様は、少女にこういう完全無欠まず間違いなしの未来を教えました。つまりさ、その少女が少年のところに行って、『あなたを愛している、アイラブユー』と言ったならば、その思いは必ずかなえられ、受け入れられて、少女と少年は両思いとなって、楽しくって、嬉しくってたまらない蜜月に入るであろう、しかし、その少女と少年の楽しい年月は永遠に続くと言うほどうまくはない。それは五年ほどで、どのような努力をもはねつけ破局に至るであろう。神様はそう予言したのです。さて、ゆらがその少女だったなら、どうする?」
   わたしがそういい終えたとき、ゆらは、完全に混乱の状態にあったように思えた。だからわたしは繰り返して言った。
  「さて、ゆらがその少女だったならどうする?」
   ゆらは愛してない男にこそのみするような憂いを含んだ媚へつらった笑いを浮かべてわたしを眺めていたが、その媚は完全に嘘であることがばればれ立った。そんなものははじめてゆらとしゃべっているばか男には効いたとしても、長年の付き合いのある年期ある友人に効くはずもない。しかしゆらはおそらく自分がどうしようもない状態に陥ったときに最後の手段としてそういうこびへつらった表情をすることを長年の不幸な家庭生活や学校生活、そして最近の社会生活でしっかりと学んだのであろう。わたしの前でもその対応策をついついとってしまうほどゆらは混乱しているのであった。
  つまり答えられない、分からない、何故友達のかばねちゃんがわたしに応えられない質問をしているのか分からない、それ以前に質問とはどういう疑問文なのかすらよく分からなくなってきた・・・そう思っているような表情を、媚を含んだ笑みを浮かべて私ににっこりとしながら、何も応えられずに沈黙し続けているのであった。
  「・・・え・・・少女・・・愛している・・・神様が予言なさったわけですね、感嘆ですね。でも、別れちゃうんだね。つまりさ、かばねちゃんは、わたしといつか、別れちゃうということなのかな。まさか、いまとか? ありえないから。そんな変な質問をしてないで、ちゃんと意味のあることを言えばいいのに? そうじゃない?」ゆらは混乱していた。ゆらは、合理的な、自分とは無関係な質問や話を聞いたり見たりしてさえ、まったく自分とは関係のないニュースを見てさえ、それを自分自身の人間関係や人生と結び付けない限り理解できない種類の人間であった。わたしはそれを忘れていたので、すぐに訂正した。
  「わたしはゆらのどこまでもいつまでもの友達だよ。質問とこれとは別だよ?」
  「質問とかばねちゃんとわたしのことは別、別なの?」
  おずおずときいてくるゆらの声を聞いてわたしはしまったと考えた。
  「別なんだよね。ただ意味の分からないことを言ってあたしで遊んでいるだけなんだよね?」
  「それもちがーう」わたしはアメリカ人のように、チガーウのジェスチャーをした。
  「わたしはゆらで遊んだりはしない。からかったりはしない。失礼だよなあ、友達がそんなことするわけないじゃんか。それともわたしのことをそんなに信頼できないけ?」
  わたしは切り札のような言葉を出した。
  「信頼?」ゆらの目が揺らいだ。「信頼してるよ!」ゆらが恐ろしく早口で言った。わたしが言わせているみたいだった。いや、わたしが言わせているんだよ、ちくしょうめ。「あたし、かばねちゃんのこと、超信頼していちゃうんだから」ゆらが言った。「質問でしょ? わたし信頼しているから、何でもこたえるよ!」
   わたしは言った。
  「いやいや、いいんよ。わたしの話って言うやつはね、ちょっとしたメタファーに過ぎなくて・・・」
  「メタファーって、ヌンチャクみたいな奴のことけ?」ゆらは言った。
  「いやいやいやいや、たとえってことね。つまり、少女は少年に、『あなたを愛している、アイラブユー』と言うか言わないか、ただそれだけのことだよ」
  「・・・ただそれだけのこと」
  ゆらは疑いのまなざしでわたしを見ていた。つまり、わたしの言動の中に、わたしがそれに込めた以上の意味があると、そうゆらは考えて、その意味を探ろうとしているのだ。ゆらの家でいつも繰り返されていることだ。つまり、ゆらの家ではね、不思議なことに、アリスインワンダーランドなことにね、あなたのような人には分からないかもしれないけれど、全ての人の言動にさ、意味がありすぎるんだよ、知ってた? ゆらのような家では、それぞれの人の言動には、自分ではこめた覚えのないような複雑な意味があって、それがいつも表面化するものだから、家の中の人間関係はいつもしっちゃかめっちゃかになっているんだよ、そんなのよく分かる? 分かるって言うなら、わたしにも教えてほしいよ。ゆらの家の中ではさ、しょっちゅう誰かが誰かの行動や言葉の意味の深い部分を取り出してはほじくり出し、分析しては、それをその人に伝えて別の言動を引き出したり、そういうことが延々と繰り返されたりしているものだから、もともとの誰かの行動や言葉の意味がどうだったのかの始めすらもはや分からなくなっているんだから。わたしとの関係にはそんなややこしいシステムを持ち込ませたくないよ。
  「わたしが言いたいのはさ、少女は少年に愛していると伝えるかどうかって言うことなんだ、言いたいこと分かるでしょ? ただそれだけなんだ。結末の分かっている恋愛を少女がしたがるのか、したがらないのか、と言うことなんだよ? それ以上は何もなし」わたしはそう言った。
  「それなら、わたしは、絶対、愛しているなんて言わないよ!」ゆらはそう言った。「初めから終わるとわかっている愛なんていらないよ! 当たり前でしょ、自明でしょ。だれだってそうするよ。無駄であるとわかっていながら、そんなひとを愛することなんてできるわけないでしょ? 無意味でしょ?」ゆらはそう言った。
   わたしはこれでよかったのだろうかと逡巡の眼でわたしを上目遣い眺めているゆらから眼を逸らして、ゆらの部屋の全体を眺めた。
   ゆらの部屋は非常に簡素だった。非常にシンプルで、単純で、生命に関係するもの以外の何かは徹底的に省かれていた。省かれていたというよりも要るとすらおもわないんだろうとわたしは思うよ。部屋には小さなテーブルとビデオ付きのテレビ、そして布団がその隅に置かれていた。そしてまた、その他の二つの部屋にはほとんど何もなかった。ひとり暮らしの女性が陥りがちな、外面だけの過剰な装飾がなく、ゆらが部屋の外で見せるような、他人に対する過剰に演技的な姿とはまったく対照的に、ゆらの部屋はシンプルで簡素で単純だった。ただただほんとうは簡素な彼女の内面がそこには露出しているように思われた。感情に素直であり忠実に生きることができる、物事に抗わずにそれを受け入れるだけの純粋なゆらの心がそこに現れているように思われた。
  何よりも男のにおいのまったくないことが最初はわたしを驚かせたものだった。ゆらの男性関係は平均的女性を遥かに逸脱して激しいものであり、抑制の聞かない種類のものだった。ということは、男に恐らくホテル代でも払わせて、ホテルでのみ事を行っているのかもしれなかった。というより、そういう話しか聞いたことがなかったし、しかもゆらは異性だろうが同性だろうが人間関係を持続させる才能をまったく持ち合わせていなかった。そのシンプルな虚無は、友人のわたしには、まるで無限の迷宮のように思われることもあった。ゆらは、この部屋に男を絶対的・永遠的に連れ込まないと言うことをすることによって、この部屋を保っているのだ、という恐るべき感情がわたしの中に吹き抜けたような気がした。もしそんな素敵な知恵をゆらが持っているとしたら、そんな素晴らしい生命の潔癖な気高さを持っているとしたら、ゆらがいちにちのほとんどをそこで過ごしているこの簡素で何もないように思える、この部屋が、もしかしたらゆらにとっては、人生ではじめて得ることができた、予想だにしなかった楽園であったと言う、ゆらの身にならなければ決して分かることができないような不思議な予感がわたしの中に起こった。
  ゆらを抱きしめたくなった。が、ゆらはいまだにわたしを見続けていた。わたしに裁かれているような気がしているのだ、いまだに、まったく、絶望的に。
   突然、ゆらはこう語りだした。
  「ときどき死んだ方がもうましだなと思うことない?」
  ゆらがはぁはぁ息苦しそうになっている。
  「死んだ方がもはやましだと思うことないけ?」
  もうなんどもやってるじゃんか、とわたしは言えなかったし、言ってはいけないことも知っていた。そのつどゆらは本気の本気で真剣なのだ。わたしは肯定することも否定することもできなかったので、正論を言った。
  「死んだ方がましだとしても、ひとは必ず死ぬんだよ」
  わたしはほんとに正論を言ってしまったのである。
  ゆらの表情が「理解されない」と感じたとき人がするもっと暑苦しい息苦しい顔になるのが分かった。
  「ひとは必ず死ぬね・・・」
  ゆらはその事実をまるであきらめたかのように、事実を受け入れすぎてあきらめたかのようにつぶやいた。
  「でもね、かばねちゃんさ、あたし死んだ方がましだと思うことがあるんだよ、あるんですよねぇ? ・・・その、そのさ? そのひとが必ずしんじゃう前に、もはや耐え切れなくなって、死んだ方がましだと思うことがあるってことが言いたいわけ」
  ゆらはちょっと表現できた喜びに輝いたが、すぐにスルーされるかもしれない苦しみの表情に変わった。わたしは、分かるよ、ということができなかった。
  ところが、わたしはそのゆらの気持ちが分かるのだった。つまり、ゆらになったつもりになって、ゆらの身になって考えてみるのである。自分がもしもゆらだったら、ゆらのような環境と人生で生きているとしたら・・・あぁ、分かるなぁ、死んだ方がましだよう。つらすぎて苦しすぎて弱すぎて死んだ方がましかも、分かるかも。いや、分かるじゃんか。いつも孤独になりがちで、ひとからはつまはじきにされることばかりで、他人には迷惑ばかりかけて、そして自分を自分で傷つけてばかりでいるゆらと、わたしはもう20年ほども友達でいるんだよ、これまでちゃんとゆらを見てきたし、ゆらによって嬉しいこと、悲しいことをもたくさん経験してきた。そんなわたしがゆらの気持ちを理解できないとしても、ゆらの身になることぐらいできて当たり前じゃんか、普通の友達だってこんなに長く一緒にいないよ。ゆらの言うことぐらい、自明だよ、単純だね、明快だね。だからわたしはこう言った。
  「ゆら、分かるよ。身につまされるねぇ・・・まったく。報われないね、変われないね、悪意の塊だね、とてつもないね、ゆらのようにかわいくて、もっと大切にされるべき、ひとがなんてめにあってんだ! わたしがかわりに怒ってやるんだ、がおー!」
   わたしはそう言った。
   わたしは先ほどのメタファーの意味をとてもゆらに伝えることができないで終わった。つまりさ、少女と少年の話のことなんだけれど。少女と少年の愛の生活とは、この現実世界で生きることを意味して、必ず来る破局とは、人間には必ず来る必然的な死の事を意味する、と言うメタファーがあの話の意味だった、あなたには分かるかなあ? その意味が。
   つまりさ、ゆらが答えたわたしの話に対する答えの意味は、こうなる。この世の現実で生きることを諦めて、自殺するよ? だって、いつか終わる命をわたしがどう扱ったって自由だしさ、つらいし、苦しいだけだから、それを早く終えちゃって、いま、しんじゃえば一番楽じゃんか? ゆらの答えはそう解釈できるけれど、まさか、本当のゆらの友達である人がそんなひどい言葉をあんな純粋な人に言えると思ったら、大間違いもいいところで、倫理とか道徳に対する感覚がまったく無痛なのだと疑わすにはいられないよ。だから、わたしはこう切り出すのだ。
  「それよりもさ、海に行く準備するよ? まさか、そのパジャマでいかんでしょ、ありえんでしょ」
  おそらく夜は本当はゆらは仕事がある日なんだろうと思う。わたしが遊びに来てくれたという事実によって今現在進行形でゆらはゆら自身を甘やかしているのだ。
  「暗くなる前には帰るからさ。はなぜ海岸のほうでも行こうよ。泳いだりはしないけどさ」
   ゆらは自身をこの部屋から連れ出してくれる人を見つけて喜んだような顔をした。つまり絶好の笑い顔をした。にっこり。
  「かばねちゃんさー、好きー」抱きつき。
  「ありえないから」甘え禁止。
 
 
  2 かばねとゴスロリ
 
   実は10日ほどまえにわたしは隣町の頴娃町の方の茶工場の仕事が入っていて、その仕事で心身ともにひどく参っていた。すごい肉体労働で、しかもなぜか若いわたしはおばさん連中にひどく嫌われていて、なぜかそして男の衆にも評判が良くなく、愛想がないとか、手順がなってないとか、時々手を休めているとか、力仕事が苦手だからってすぐ誰かに甘えるとか、ようするにけちを付けたいだけなんだろうね、そう思わない? そればかりか、この仕事場いつも人間関係がぎすぎすしていて、経営の一家が揃いも揃って仲が悪いしお互いのことが理解できないものだから、パートとか出稼ぎとか派遣できているわたしたちにまで身内の事情を知らせながら大喧嘩する始末。まったく生きているのがやになるよ、かりにわたしが天然元気少女系の売れっ子アイドルの仮の姿だとしても、さげすまれながらも努力の虫で成り上がっていく正直者ですすを払えば実は美人であるおしん系の少女だとしても、こんな職場じゃ芽が出る余地はないと思うんよ、そう思わないかな。
   だから、仕事の中日に時間が空いたときゆらと一緒に海に遊びに行けたときにはへとへとながらとても楽しかった。
  「海なのに、海鳥ではなく、なんでタンチョウがいるんだよ〜」
  とかじつはわたしたちふたりともなんにもせずに、防波堤で何にも見えなくなる夜の7時半ぐらいまで、海を眺めていた。そんなになんにもしないでじっとしながら遊んでいたというのに、ゆらは海に行ったという事で口実ができたと思ったんだろうな、三日間ばかりの仮病にかかって仕事にも行かず家でずっと寝ていると言うことを知ったとき、ちょうどわたしのいま現段階における仕事が終わりに近づいて疲れ果てていたから、「超絶的に許せん〜」と思ったが、いつものことだ、そういうものだ。
  実際電話口でのゆらの口調はこほっこほっと言いながら、確かに風邪のように思えなくもなかったが、この娘って実は普段の様子のときですらつねに具合悪そうに見えるのよね、実際。それどころか、実は、その見せ掛けの具合の悪さですら仮の姿に過ぎなくて、本当につねにずっと永遠に小さい頃から具合が悪くあり続けていると言う可能性も実はわたしにも、わたしたち友達の間でも完全無欠に否定することができないものなんだよね。もしそうだとすると、同情することもできないぐらい憐憫の情に襲われるけれど、いつもそうなもんだからこちらも慣れてしまっていて、実際許せなかったよ、本当に。
   わたしは仕事をめい一杯か、それとも可能な感じで入れてもらって、一ヶ月のうち20日未満ぐらい働くような感じで生きていた。歩いてこの町に唯一一個だけあるコンビニに行けるぐらいのいい場所にアパートメントを借りていて、その生活が楽しくって、喜びに満ちているように思えて最初はならなかったものだよ、そうだったがねぇ? しかし絶え間なく続く、入ったりは入らなかったりする仕事の意味の分からない波動(ウエーブ)に悩まされるようになってからは、自分の部屋の持つ意味というものが、その輝きがどこかで薄れてきて、その代わりに、安らぎとプライバシーとそして孤独と寂しさが混合した、変な物質に満たされるようになった。
  中学二年生の頃、わたしたちは理科の先生の研究室に忍び込んでそこにあるあらゆる化学物質を混合させることにより、悪臭漂うガスを発生させて、大問題を起こしたことがあった。たぶんこの世を構成している成分というのは、その成分の性質と役割を正しく理解している人が混ぜたりすれば医薬品とかそういうちゃんとした物質になるんだろう。けど、わたしたちみたいに性質も意味も役割も分かっていない人が混ぜたりすれば意味の分からない毒ガスを発生させるだけに終わるんだろうね。わたしのアパートメントは、わたしがこの社会や世界を構成している出来事や感情などの成分を理解していない、その無知の程度に応じて、非常に汚らしい空気に満ちていた。
   そういうときわたしは、一人でお酒を飲むか、それとも友達と電話で話すかするけど、この疲れ果てた自分の体と心をその二択に持っていくには、お酒も電話も何かもの寂しく、とてつもなくむなしい感じがしたよ。むなしいなんてもんじゃない、反吐が出るぐらいに空虚で無意味だったね、下品な言葉で言えば。
   あんまりくさくさしている気分だったので、車に乗って、Aコープにいって、ちょっと買い物をして帰っている途中に急に気になって、ちょうど通る上仙田の途中にこな絵の家があるものだから、そこに車を止めた。ひさしぶりにこな絵の顔を見よう、と思ったんだ。こな絵の家は、昔からわたしたち仲間の溜まり場になっていて、いつでも思いついたときに行きやすいようなそういう雰囲気を持っているのだ。それでもこな絵にあうのは15日ぶりぐらいであった。ついでに借りていた漫画、「銀盤カレイドスコープ」と「輝夜姫」を山形屋の袋に入れて車に詰め込んであったのでそれも返そう。
   志乃底こな絵は、まだ学生である弟と両親の四人で、上仙田の実家に暮らしていた。しかしながら、こな絵の特殊な趣味がこうじるがあまり、つまりこな絵は、たくさんのかわいらしい人形たちや、フリフリが付いたゴクラクチョウのような洋服の大群とか、漫画雑誌とか、その他の難読書の類いのコレクションを収めるスペースをもはや実家の自分自身の部屋に持つことがかなわず、本来は農業用の倉庫であったであろう、かつては畜産用の建物であり、いまは車庫として使われている木造の建物の二階部分をそのコレクションで占領するのみならず、そこにほとんど一日中すごしているので、そこで住んでいるようなものだった。
  こな絵はしかしひきこもりではなかった。そこがこの世の神様がとてもすばらしいことをすることもあるんだな、と時々わたしに思わせる要素のひとつなんだよ、がち。こな絵は、小さな印刷所をとなりにある港町である山川町で経営しているおじのその事務所で勤めていたんだ。それだけならばべつに神に感謝の祈りを友人としてささげやしないよ、勘違いしないでほしいな。つまりね、こな絵は朝の11時にその印刷所の事務所に行って夕方6時には帰ってくるという勤務をしていたんだよ。え? 印刷所にも準夜勤がみたいなものがあるのかって? いやいや、そんなものはありはしないよ、実際。その印刷所の稼働時間はちゃんと朝の6時ぐらいから夜の10時ぐらいまでさ。じゃあ、こな絵の勤務時間はどうしてそうなっているの? なぜかって?
   というのはさ、こな絵は、中学生の後半ぐらいから絶望的なほどの不眠症にかかって、昼夜逆転をする生活を送るようになって、授業に車で登校してずっと日中のすべての授業を眠り続けて夕方に起きて家に帰る日もあったというほどの超夜型人間なのだった。おじさんの経営する印刷所に努め始めてから連日の遅刻や欠席がずっと続き、一度はおじさんも怒り心頭に達して首にしようかと思ったんだけれどね、このおじさんにたぶんあなたは一度ぐらい会ってみてもいいかもしれないなあ、まじで。このおじさんは本当の意味で人間を見て、本当の意味で人間に厳しくできる人間なんだよ。わたしの言っている意味分かるかなあ。
  つまりさ、人間を見て、この人間のある部分の中で本当に変えられない部分と、変えられるけれども本質的に変えてはいけない部分と、何とか努力したら変えられる部分というのがあるとする。そんなものを区別できたならば、自分としても周りの人としても非常に苦労しないよ。でも世の中の実際ってさ、本当に変えられない部分を無理やり変えようとする無駄な努力を行ったり、本当は変えてはいけない、変えたらその人間の本質を損なってしまう部分を訓練とか学習を偽って変えようとして人間を台無しにしたり、努力したら変えられる部分を見逃して世の中に絶望したりと、まったくのちぐはぐの何とかレースと言わんばかりじゃない?
   ところが叔父さんはこな絵の夜型の性質をじっと観察することによって、それがこな絵が生きていくに当たって本当の本当に大事で大切な、守らなければならない部分であるって言うことを理解してくれたんだよ。そのうえで、こな絵が特殊な趣味にのみ打ち込み続けるという生活は、こな絵自身の人生のある本質的なものをだめにするだろうと言うことまで、この大人のひとは見抜いてしまったんだ、まったくすごい人もいたもんだよ。インドの聖人とか、ダライ・ラマもここまでうまく人間を見たりすることができるかな、わたしはそこのところを疑問に思っているよ。だって、叔父さんはこな絵の身内だよ、身内に対してはだれもが本質的眼を向けることができないよ。ぜったい色眼鏡が入るよ。感情が混じる。だから、最初は、叔父さんはただこな絵を甘やかしているだけに過ぎないってわたしですら思ったもん。高校を卒業したら、ぜったい、こな絵の昼夜逆転は直さなければならないものだとわたしもずっと信じていた。
  ところが、世界で一番優しい音楽が鳴り、世界で一番優しい決定がその時執り行われたんだろうね、こな絵は仕事と趣味という二重の決して相容れることのない二つのものを自分の中に同居させながら生きさせてくれる環境を手に入れてしまったんだ。あなたが感動したとしてもわたしはやむを得ないものだとこの場合は見逃してあげよう。
  こな絵は活字狂いであったから、本質的にはその仕事には向いていたんだよ。だから、仕事の勤務表がこな絵を勤務させてくれるような種類のものに少しだけ優しく変更されたときに、こな絵は、しぶしぶのことながら、叔父さんのために、自分の能力を捧げるだけ捧げた。こな絵って本当はとっても頭がよくってとってもよくできる人間なんだよ、これは友達だから言っているんじゃないんだからね。ただ、人と好きなものとか生活のスタイルとかがあまりにも違いすぎるからあまりにも生きがたくて、それでこな絵の本当にいい部分というものが、学校の成績とかひとに対する評判とかに本当に絶望的に現れにくいんだよなあ、分かってよ、そこをさ。
  わたしは、こな絵だったら、いまよりも遥かに高い知的水準のもとに行われる生活にも耐え切れただろうし、実際そういう方面の方が向いていると思ったことも何度もあったので、本人にも言ったりした。でも、こな絵はさ、だめね、あれは腐ってる(笑)、「わたしにはこの現実に存在するもので愛するものは何もないのです」ときっぱり否定しやがりくさりましたんだがね。
  案の定、こな絵は、自分が巨大な好意の下で勤めさせてもらっている印刷所を自分の、ちょっとこの場合言わせてもらうなら汚らわしい趣味である同人誌『疎外酸』作りに、まったく完全無欠の公私混同の精神で利用していた。(意味、分かる? わたしは訊いたけれどよく分からなかったな)
   この同人誌の中身ときたら! たぶん奇跡的な紳士淑女の集まりであるあなた方にはとてもお見せできないのが残念ですがね、あれは眼に来るよ(笑) 実に眼に急行電車が来るよ(笑) なにせ、エロなんですから。エロなんですよ、じっさい。まったくのところ、それがおわかりですか。同人誌ってすべてエロなんらしいんですよ、本質的に、専門家であるこな絵さんに言わせれば。わたしは同人誌というものはなんか絵とか文章とかをホッチキスで止めて仲間内で見せ合うだけのものかと思ってましたねえ、実際の話、その本物の本物を見るまでは。しかしエロだったんですね(笑) しかもお嬢さん、生半可なエロじゃあなかったんですよ、ほんと(笑) つまりさ、うまくいえないんだけれど、実はよく分からない、楽しいエロってやつだったんだ(爆) こな絵は、わざわざ鹿児島市の同人誌専門店に行って、自分の同人雑誌である『疎外酸』を下ろしてくるんだけれど、さあねえ? いったいあれをだれがどのような目的で購入してどのような手段でどのような目的のために利用するのでしょうか、わたしはそれが知りたい。まじで、がちに。だって、そこに出てくる男×男とか、男×女とか、動物×女とか、人形×女とか、実際なんでもいいんですけれど、まずこの表記法分かりますぅ? 最後のなんかとっても傑作だと個人的には思っているんだけれど、こな絵には言わないで。この「×」という記号はね、数学的用法とは違って非可換であってね、前方が性的サド人を示し、後方が性的マゾ人を示すと言ってもわたしもよく分からないな。つまりさ、エッチするんですな、そうなんですよ(爆)
   そしてわたしの二十年来の友達である志乃底こな絵のその同人世界における専門分野があるとすれば、人形×X、すなわち人形とエッチをするというまったくどんだけ途方もなければ気がすむんですかっていう話ですな、実際のところ。ほんと途方もないのもほどほどにしてほしいよ、程度があるって話でしょ。いえ、この表記法は、驚くなかれ、人形にエッチされる、すなわち人形に強姦されるという驚くべき人形と人間の関係性を意味しているのです。え? どうやって? まず、その問いからはじめましょうかね。わたしはそうすることにしました。いろいろな方法があるらしいんですよ、つまり擬人化って言うのを使えば、人形がいきなり実は人間の男や女だったということになってそれでエッチできる身体を備えることになったりとか何とか。でも、こな絵は、それを「邪(よこしま)だ」といって、わたしの意見ではこな絵こそが邪である真犯人だと思うんだけれど、ちゃんとした人形に、意識を持たせたりもしないで、ありのままの人形に、つまり物質としての? そういったら怒られるんだろうけれども、愛すべき人形そのままの存在のあり方のまま、人形に犯されるという関係性が、こな絵にとっては最も自然であると主張するんですな、理解できません、分かりませんな。わかるんですか、あなたなら?
   だから、わたしは『疎外酸』、それはいますでにVOL25まで出ているんですけれど、の唯一の愛読者であり、更に貴重なことに唯一のファンであるということを確信してますよ、ほんとの話。あ! いやいやいやあ、わたしがそんな性癖があると思ったら参るな、困るな、そんなのどんだけ誤解したら気がすむんですか、あなた。そうじゃなくて、わたしは楽しいわけ。友達が作ったエロくて楽しい雑誌を読むのが。だって傑作でしょ? いっつもおんなじなんだよ、結局エロといえども。というか、セックスそのものってそれ自体がいっつもおんなじだと思っているんだけれど。つまりさ、こな絵の本のあらすじっていうのはいつもおんなじなのよ、言いたいこと分かるかな。つねに愛する対象と一体化したり、『一緒に死のう』と心中することに決めたり、腹上死したり、え? 人形と? と思った人もいるかもしれないけれども、まじで人形となんだけれど。つまりさ、愛して愛してその対象と一致するというのかな、でもそれが完全には適わないから、一緒に死のうというわけなんだな、分かる? わたしそういう愛ならまったく理解できるな、ほんとよく分かるよ。この話は、この世の愛の真理を表現しているな、と感心する。ただいっつも同じパターンであるというのが閉口ものだけれども、それが真理であるから仕方がないことであり、慣れてくれば同じことにすら慣れてくるし。VOL25で人形の心的世界の中で主人公である女性が限りなく虚無に近づいていって『アー』と叫びながら果てていくところなんかすッごく感動しちゃったし。もちろんそのことは、こな絵にもいわないし、なしおにいったら分析されそうでとても嫌。だいたいはさ、こな絵には悪いけれど、悪い冗談だと思って大口あけて笑っているというのが、この唯一の愛読者の読書光景における真実なんだけれどねえ、まったく、閉口。
  車を道路の脇に止めて、二件の家を通り過ぎると、こな絵の家の生垣が見えた。そこをくぐると、誰もいないこな絵の家があった。わたしは、こな絵が倉庫兼住居として利用している車庫の上の二階へと続く狭くて細くて急な階段を上って入り口に、「銀盤カレイドスコープ」と「輝夜姫」の入った山形屋の袋を置いた。そして庭に降りて、その庭で、わたしはいつごろ帰ってくるんだったっけ、とこな絵のスケジュールを考えていたが、生垣の外に出て、ちょっとだけ何も連絡せずに待ってみることにした。いま五時半であった。
   15分ぐらい待っていたときであろうか、たぶん修行中の禅の行者が修行中に陥るのと同じ種類のものだと思うんだけれど、そういった特殊な放心状態に陥っていたわたしの前に、赤い軽の車が止まった。みると、ひまわりのような笑顔をしたこな絵が、パワーウィンドーを開けたその向こうからわたしに手を振っていた。
  「いま、仕事帰りなんですぅー」
  とこな絵は言った。わたしはいままさに陥っていた放心状態があまりにも特殊なものだったので、それに返事することすらできずに、ただただこな絵のにこにこした顔に眼を向けるので精一杯であった、ねえ皆さん、皆さんもそんな放心状態になったことはありませんか、わたしにはしょっちゅうあるんですけれど、これって異常ですか、病気ですか、治療した方がよろしいですか。
   仕事帰りのこな絵が言った。
  「嬉しいですよ、かば姉」
  こな絵は、同級生の癖に、わたしに敬語を使う上に、わたしを空想上の姉御と見なしているのだ。
  「かば姉の方から遊びに来てくれるなんて恐れ多いなんてものじゃないですよ、実際。すっごく嬉しいです」
  素直じゃないか、照れるじゃないか。まったく、このおべんちゃら貴族が。
  「ちょっと待っててくださいね。いつもの服に着替えてきますからね」
   そういうと、こな絵は、自分の特殊な性癖によって得た倉庫であり住居である二階の部屋に、狭くて小さな階段を駆け上っていって消えていった。すこし、放心状態からさめつつあったわたしは、ちょうどその時縁側にいたこな絵母に縁側に座りなさいと言われたので、綺麗に手入れされた庭と、こな絵が利用している車庫兼倉庫を眺めながら、こな絵母がいつの間にか持ってきた、お盆の上にのっているお茶とお菓子を見て、なんておいしそうで自然なんだろうか、と思って楽しい気持ちになった。昔おじいちゃんの家に遊びによく言っていたことを思い出す、そんな気持ちだよ、うまくいえないんだけれど。
   ちょっと、何かを向こうの部屋にとりに行っているのか、こな絵の母がこう言うのが聞こえた。
  「ねえ、かばねちゃん、彼氏さんとはどうね?」こう言うのである。「彼氏さんのなしさんとはどうしているね?」どうもしないよ、こな絵母。
   言いたいことは分かっているよ、多大に、大いに、まったく、完全無欠に。
  このこな絵母自身の言葉とわたしの「えぇ、大変うまくいってますよ、ラブラブです」という予想されるであろう返答を、こな絵母は、もう、なんていうか、娘のこな絵に、聞かせたくて聞かせたくてしょうがないのだろうね、すごくね。つまりね、こな絵に、「彼氏」という概念が世界には存在することを知らせることによって、女性の本当の幸福とは、フリフリの洋服とか、漫画や本や歴史の中のイケメンたちとか、人形を実の子供のように思って可愛がる変態行為の中には全然なくて、ちゃんとした肉体とまともに考えることができる頭脳を兼ね備えて生きている実際の男性との結婚生活にあるんだよ、という路線にまで持って行きたいんだよ、持っていこうとしている魂胆があまりにも見え見えだよ、露骨だね。
  なぜ、人は二十年も一緒に暮らしてだよ? その人の本質の少しのひとかじりでも理解せずに過ごすことができるんだろうね? ましてや、こな絵母はこな絵を自分の腹を痛めて生んだ人だよ? それなのに、どうしてこな絵がこれからそれが動物的生存に過ぎなくて、ただ食って寝るだけで、何も後続が続くことのない虚無的な生活だとしても、こな絵が人間として人間らしく生きていくために不可欠な手段として、本とか漫画とか同人活動とかフリフリの洋服とか人形との空想的な関係とかが完全無欠に必要だってことを、こな絵母は、理解していないんだよ、どうして! そんなの本質的には他人に過ぎない友達であるに過ぎないわたしたちにすら痛いほどに分かっているし、本人はそう生きることを自分が今後生きていくための根源的致命的な前提と見なしていんだ。弟だってあきらめながら姉ちゃんの事を分かってくれているように思えるし、父親だってたぶんこな絵がどういう形であれ生きてくれさえすればそれでいいと思っているようにわたしは思われる。というか、あの二階の部屋の中に入ればだれもが「あぁそうか、合掌、合掌」と何もいうことなくこな絵のことを理解するよ、この御時世。それなのに、実に、自分の腹を痛めた母親がねえ? 不思議なもんだ。
   こな絵母も縁側に帰ってきていた。腹立たしいような声でこな絵が叫んだ。
  「腐っていちゃ結婚できないんだよ! 黙って、いま、かば姉が来てくれているんだから!」
   そうしたら母親はまたしても、どうして知らないんだろうねえ?
  「腐っているって何? 腐っていることと、あなたが男性と付き合ったり結婚したりすることがどうつながっているのか、かあさん、全然分からないよ」こな絵母は言った。
  「かあさん、ほんとうにこなに何度もいわれているんだけれど、そこのところがちっとも分からないの。だって、あなたは女の子で、わたしの娘でしょ?」
  こな絵母はあたかもわたしに言葉を向けているかのようにそう言った。レズでもないでしょ? バイセクシャルでもないでしょ? わたしはこな絵母の前提にひとつ付け加えて前提をより完全なものに心の中でだけ近づけた。
  「うるさいなあ! かば姉が来ているから、聞いているっていっているでしょ! 恥ずかしいからそんなやり取り聞かせないでよ? ね? お願いだから」こな絵は言った。「ちょっと待ってくださいね、かば姉、すぅぐに、わたし準備するんですから」
  「母にうるさいなんていうもんじゃないでしょ、中学生じゃないんだから、いつまでもいつまでも子供みたいなあ」
  こな絵母がそう言うと同時に、わたしもこう言った。
  「ぜんぜん急いでいるんじゃないからね、そればかりか、おかあさんにお茶もらってくつろいで座っているんだから、まったくいつもにぎやかでいーい家ですねえ、お母さん」
   こな絵が準備する音がずっとバタバタと聞こえていた。あの作業着から着替えているんだろうな、わたしの考えによれば。こな絵母が言った。
  「ほーらね。まったくこんなにぎやかでいい家に住んでいるって言うのに、ちっともなんとも思ってくれないんですのね、こなときたら。ほんとうにかばねちゃんはいい娘に育ったよねえ。彼氏もほんとうに真面目な人だし。なによりもまともで、しっかりと自分の足で自分の地面を踏んでいるもんねえ?」
   わたしは言った。
  「そんな、とんでもありませんよ?」
  わたしは驚愕してどきどきしてうろたえているのだ。まったく参っちゃうな、友達の母親って言うやつは。
  「こなっちのほうがずっとすっごくすっごーく真面目なんですよ。わたしなんか、今日は疲れ果ててもう居眠り寸前だったけれども、こなっちは、いつも考えることがしっかりしていて、ちゃんと考えることができて、ちゃんと物事を見ることができるし、たくさん本とか読んでいるし、仕事もすごくできるとか聞いたし、なんかわたしなんかとくらべちゃ全然だめなんですよ。わたしなんか、農園とかに出るぐらいでとてもとても事務とかそんな小難しいものはできそうもないですしね? ね? こなっちは、わたしからみれば、しっかりと自分の足で自分の地面を踏んでいます。わたしが踏んでいる地面はどこか国外追放された犯罪者が踏むグリーンランドの氷の上とかですよ?」
  わたしはうろたえてわけのわからないことを言った。こな絵母は言った。
  「あの子がしっかりしているなんてとんでもない! 子供ですよ。いまだに朝おきることも夜寝ることもできないんだから。片付けもできないし、つまり生きることができないじゃないの。あぁ、ほんとうに、でもこなは、お友達だけにはすーごく恵まれているのよねえ。わたしはすごく感謝しているんだよ、かばねちゃんさ、いつまでもこなの側にいて、友達でいてやってね。いつでも来るんだよ? ここにね? 食べるものもあるし、泊まってもいいし、この間みたいにお父さんとお酒を飲んでくれたときは本当に楽しかったわ! こなは、お父さんとお酒ひとつすら飲んだりしないんだよ」
  「とんでもありませんよ」わたしは恐縮のあまりにピンポン玉にまで小さくなって転がり落ちそうになった。「あの時は本当にありがとうございました。わたしはいつもアパートで独りで過ごしていることが多いから家族みたいなにぎやかなのって、すごくひさしぶりだったんです。楽しかったです。こなっちと友達やらせてもらっていて、わたしのほうがすごく得しているんです。何よりもいろいろ教えてくれるし、外とか、遠くとか、パソコンの中の世界のこととか、ほんとうにほんとうに、たくさんの、いっぱいあることを、こなっちはわたしにいままで教えてくれてきたんですよ。それがまた、本当に役に立つ知識なんですよ、不思議なことなんですけれどね。というのは、いろいろ知識に詳しい人の知識って、大体が役に立たない知識じゃないですか。たくさん量だけ知っていて役に立たない。それなのに、こなっちの知識とか情報は本当に役に立つんですよ。働いたり、外に行ったりするときに、場所とか時間とか内容とかそういうのをプリントしてくれたり、やり方を教えてくれたり、意味もわからずやっている作業の意味を教えてくれたり、・・・何ていうかな、こなっちは、わたしのなかでは、本当に物事について本当の本当を知っている数少ない人の一人でかつ大事な友達なんです」
  そのときさ、こな絵母に、こな絵について話しながら、あぁわたしがこな絵とすごしてきた幼稚園時代から今までの約二十年のことが思い出されて、恥ずかしながら、眼がうるうると潤んでいるのを自覚していた。いろいろあったよう! ほんとにあったよう! そういえば、こな絵が、初めてうちらにため語を使うのをやめると宣言して、敬語を使い始めたとき、本当に腹が立って、「よそよそしいんだよ!」と腹に一発けりを入れたこともあったっけ?
   いまでは敬語の使用を何とかかんとか許してはいるけれども。まったくこなっちの野郎は、いつでもわたしの予想のあまりにも外側にいつもいすぎるんだから、いまここで言わせてもらえば!
  いつのまにか、縁側の左手の玄関の前に、こな絵が仁王立ちしていた。そのとき、そのこな絵の姿を見たときのわたしの気持ちが分かるかな。こな絵はいった。
  「ねぇ、かば姉、いまから歩いて唐船峡に行きませんか? 今の時間なら、ちょうど裏の方から行けば、蛍が見れるのです」
   そういったこな絵の格好と着たら、まったく人口6000人の町を歩いて闊歩するためにはどんだけ絶好の姿をしているんだ、といわずにはおれない格好であった。
  つまりさ、いまだったらゴスロリとか言うんだろ? わたしには分からんがね。白と黒のドレスのようなもので、一種の何ていうんだろ? ソテツの樹がそうであるみたいに、こう、周期的にくびれができてきてそこにものすごいフリフリが付いているんだよ。要するに、ドレスなんだろ? どう言えばいいのかな? すごくキラキラした生地で全身が覆われていて、それが白黒の縞模様になっていて、胴の部分できつくしまっているが、お尻から下のほうでドーム型に膨らんでいて、首回りとか、胴回りとかにはすさまじいほどの少女の夢が波打っているんだよ、こう、見たことのある人なら分かるんでしょ? 
   でも、この町を、そしてその唐船峡への散歩コースをその格好ではありえなかった。だって、あの道は樹木とかがはるけき生い茂っている森の道で、そこらじゅうが草ぼうぼうなんだものね。わざわざ強姦された後の花嫁姿を作りに行くようなもんですよ。
  ましてや、わたしには全然分からないんだけれど、おしゃれって、街でするもんじゃないの? つまりさ、だれか男じゃなくってもそこで誰かに見てもらうためにさ。おじいちゃんとおばあちゃんしか道を歩いていない、果てしなく畑が広がるこの町を何故その格好で歩く? 最近じゃ更に高齢化がすすんだから、じいちゃんばあちゃんですら道を歩かなくなったよ、ほんと。そこまで考えたわたしはようやくこう言った。
  「・・・もう一度着替えなさいよ」
  「やです」
   秒殺しで答えやがった。
  「何で? わたしが歩くのがやだよ」
  「これが普段着だからです」
  二番目の指摘を飛ばしてこな絵はこう答えた。
  実は服が本体であんたの肉体は仮のものでありますってやつですか?
   ま、いいでしょ。本人だけが知っているようなそんな意味があるかもしれないがね、そう思わんかい? みなの衆。
  「じゃあ、いこか」
  「やです」こな絵が言った。
  「これが普段着であることをかば姉が認めてくれるまで、わたしは動きませんよ」さらにわがままだった。
   辺りはやんわりと夕方が深くなってきていた。わたしはバッグの中から、というのはわたしはつねにバッグを持ち歩く習慣があるバッグ族であるからなのだが、ジンジャーエールを取り出した。
  「一緒に飲みながら歩こうか」わたしはこな絵に言った。「こな絵がそう考えるならば、仕事に行くときの作業着を着ているときはどんな風に自分を正当化しているのかな? 聞かせてもらうけど」
  わたしはジンジャーエールを渡しながら訊いてみた。
  「作業着は実はわたしにとって戦闘服なのです」
  明確な意味と機能を持たせていやがった。しかも、無意味にうまい感じだ。組織の中に溶け込もうとする、あるいは組織の中に溶けていくことを拒否する彼女なりの戦闘服。かっこいいじゃんか。
  「わたしの考えではね、作業着というのは、動きやすくてみんなが同じに見えるからみんな着ているんだよ」
  わたしは指摘してみた。すると、こな絵はかぶりを振った。
  「いいえ。あえてかば姉に反対させてもらうならば、作業着とは、敵の視線を欺くための一種の迷彩に過ぎません。そしてわたしは擬態するんですよ、まったくもう。賢いかば姉なら瞬殺で瞬く間に理解してくれていたものだと思ったけれど、よもやわたし自身みずから指摘しなければならない日が来るとは。恐れ多いことですよ、本当に」
   実際、その迷彩と擬態が溶けて、恐らく本来の姿に戻ったこな絵は、輝いて見えた。というよりも、この田舎ではいように、突出していた。途方もなくなじまなかった。なじまないのもどんだけだ、なじまないにも程がある、そういう程度をこの娘は分かってやっているのかな。いつもながらにそう思った。
  実際わたしは、山川のファミレスのジョイフルにも彼女の本来の姿と一緒に付き合ったことがあるし、フラワーパークっていう家族連れがにぎわう、一億種類ぐらいの花が咲いている庭園にも付き合って一緒にカレーを食べた記憶と経験がある。そのカレーはこぼれたために、こな絵の精神が停止して、消してしまいたい記憶と経験になってしまったのだが。(こな絵がまったく動かなくなり、しゃべることもしなくなり、眼がうつろになった三時間、わたしたちつまりわたしとその時一緒にいたなえでは、ずっと店内で好奇の視線に取り囲まれながら、待機していた。そろそろ精神科の先生に電話してみようか、としようとしたときに、おもむろに「じゃあ、帰りましょうか」と言って立ち上がったこな絵に、その帰り道、カレーについて指摘することができる猛者は誰もいなかった。)しかしこの地元開聞の唐船峡に付き合うのはまことに始めてである。それでも去年の年末に、神社! 神社ですよ、神道信仰のメッカですよ、そこに年末のお祭りに付き合ったときほどの、アレはないだろうな、と推量して、わたしたちは歩き始めた。
   見事なまでの畑かん地帯だった。夕焼けが北側に見える、多宝仏塔という、たぶん新興宗教かなんかなんだろうな、の修行場兼威信を示すイコンをてっぺんに持っている、開聞町を囲んでいる途方もない山脈を照らして美しかった。言わなくちゃいけないと思いつつもなかなかいえなかったんだけれど、わたしたちが住んでいる開聞町というのは、三方を山に囲まれていて、そしてもう一方を海と開聞岳でさえぎっているので、戦略的にはまことに無敵としか言いようがないが、それでいてまったく孤立しているとしか言いようがない、隠れ里のような町なのである。どのような地平線を見ようとする努力をも拒む台地の中でひっそりと育ってきた一族の末裔なのだ。そんなことを考えるとわたしたちって実はすごい気高い生まれなんじゃないかと思えないかなあ?
   一面が田んぼや畑である地点で、ほとんど車すら通らない道路のうえを歩いている、ひとりは黄色く長い髪をした眼だけはやたら大きいちょっと細長い感じの女(これはわたしね)と、それよりはちょっと小柄な無口で神秘的な感じで何を考えているのか想像も付かないゴスロリ女という二人組みは、だれも見る人がいないからいいものの、結構滑稽だったに違いないよ、本当にさあ! でも、幸運なことにだれも見る人が一人としていなかったんだ、この田舎町では!
  「ところで貸している『今日から俺は』はもう読みましたか?」
  こな絵が訊ねてきた。そんな漫画があるんだな、100巻ばかり続いているやつが。
  「いや、まだ読んでいないよ、さすがに。最近は、暇なし」
  なんか、絵がなじめないんだ。
  「まさか絵がなじめないんだとか考えて敬遠しているとかではないですよね? ありえないですよ? 絶対読んでください。読んだら友達、読まずは絶交、です。わたしはですね、何も自分と一緒に完全に趣味を共有してほしいとかば姉に望んでそんなことをしているんじゃないんですよ。ただ同じ事を共有してそれが楽しいだろうなあと思ってそういうことをしているだけなんです」
  え? どう違いました? よく分かりませんでしたけど?
   こな絵はなんか楽しそうにそう言った。そして、ふと思いついたようにこう言った。
  「ゆらっちは元気ですか?」
  なんだかキャラ作りでもしているんかいな、と訊ねたくなるほど抑揚のない声で、こな絵が訊ねてきた。
  「かば姉が一週間のうち一日すらゆらっちのことを気遣わないで過ごすなんていう可能性はゼロに等しいことですからね?」
  回りくどい言い方だな、普通にしゃべれよお!
  「かば姉は過保護なのです」
  あ、普通にしゃべった。
  「ゆらは、ま、元気」わたしは言った。「この間、海に行ったよ。つれてけーってうるさくてさぁ。ま、はなぜの方なんだけれど。それでね、海なのに、海鳥がいなくって、タンチョウがいやがるの! 超、超、超絶、うけたよ、とぉーっても?」
  わたしは無反応なこな絵に、あー、こう時々今でも慣れないことがあるのだ。
  「うけないかな。うけない?」
  「ゆらはかば姉にいわば母性を求めているのです」
  まったく関係のないことを、というか話を聞きやがれ、わたしの話を無視した形でこな絵は答えた。
  「わたしはだれのおかあさんでもないよ。そんなものにはなれない。友達。ようするにはわたしたちは友達さ。つまりさ、わたしのいいたいことは、わたしたちはもうもたれあいながらあまりにも長く一緒にいすぎているということなんだな」わたしはこう答えた。
  「いえ、ゆらの気持ちが分かるんです、わたしは。かば姉は鈍感ですね?」こな絵はこう言った。「わたしには家族がいます。でもわたしは家族の中で一人です。わたしには会社があります。でもわたしは会社の中で一人です。ところがですよ、不思議なことに、かば姉さん、わたしは姉さんと一緒にいるときにはまったくそういう感じを感じないんですよ」こな絵は言った。「感じないんです。一人であることを感じない・・・これがどれほどゆらとかわたしのような人間たちにとって驚くべきことであるか、かば姉は想像することすらできないのでしょうね」こな絵は言った。
  それはわたしにとっては、驚いちゃうな、すっごく優しい言葉だった。だってわたしは一人で生きているという感じがずっとしてて、寂しいことがよくあるのだし、報われることもなく、自分がちっぽけな存在のままで終わっていくんだろうな、と絶望することがよくあったから。なによりも、今現在のわたしは疲れ果てていた。10日間ぐらいの茶工場での仕事で、わたしは自分の存在が10日間ぐらいずっと否定され、拒否され、無きものにされ続けてきたという感覚がしていた。そのときに、無口で自分の気持ちをあまりしゃべることのないこな絵の、「あなたは頼りになる」宣言は、わたしに自分が本当は無敵なんじゃないかという無限の勇気と活力を与えてくれたような気持ちにさせた。わたしの悪い癖だってもうみんな知っていると思うけど、そんな気持ちのときすぐに、わたしの目じりは潤むんだ。このときも真っ先に潤んだよ。
  「何よ、まったく、こな絵」わたしは言った。「わたしはゆらの気持ちが分かったことはこの二十年間全然ないのだしぃ。それに、わたしはあんたの趣味についていまのいまのいままでずぅーっと、少しでも理解したことがないのだしぃ」わたしはちょっと感激のあまり、語尾がおかしな返答をしてしまっていた。「それにゆらを見ているとわたし落ち着くしぃ。それにあんたの部屋にいるときにもけっこう落ち着くしぃ。あんたはわたしのためにいろいろしてくれたし、教えてくれたしぃ。それにあんたの書いた本ほど滑稽でおかしな本はないと思っているしぃ」わたしは、何を言っているのかよく分からない言葉を言うほど疲れていた。
  「わたしは人間よりも人形の方がすきなのです」
  突然こな絵が言った。それがこな絵にとって途方もないカミングアウトであったことは、その眼の端の震えからよく分かった。というか、言った瞬間にこな絵が持っていたジンジャーエールが道路にこぼれる音がした。あたりは暗かった。
  「わたしは人間よりも人形の方がすきなのですよ? そしてしかももっとたちの悪いことに、それで充分であると自分を肯定していさえするのです」こな絵が言った。
  「いいがね」わたしは言った。「それでいいがね、なにがわるいんか」
  「悪いですよ!」こな絵が叫んだ。「繰り返して言うことを失礼・・・はーあー・・・わたしは人間よりも人形の方を愛しているのですよ? いいはずありますか、実際、どうなんですか、死んだ方がましですか?」途中、行き詰るように、こな絵はしゃべることができなくなったが、ついにしゃべりきった。こな絵はかすれそうな声で、だれに言っているかも分からない呟きをする。
  「どうか! ねえ? 引かないでぇ。お願いですからぁ。引かないでぇ。さすがのかば姉も引いたんじゃあないですか、どうしましょうか、こなっちとしては」つぶやいているのか、訴えているのか。「引かないでぇ。どうしましょうか、こなっちとしては」こな絵はそうつぶやいていた。
  「引くわけないじゃんかよ。どんだけ昔からあんたの変態な趣味に付き合ってあげていると思ってんだよ、死ねよ、まったく。もしわたしたちがあんたの裸な部分をみただけでそんなに簡単に離れていくと考えるなら」
  わたしはちゃんとこな絵の耳に届くようにはっきりと発音した。
  すると、こなえはいきなりぐしゃぐしゃの泣いた子供のような表情から無表情な、つまりさアンドロイドロボットとかがそういう表情をしているじゃんか、そういう感情を押し殺しているのか読めない表情に、変わった。まったくの激変。って、おまえはゆらかよ! ゆらじゃんかよ、キャラが今日はかぶってんなあ?
  「そうですね。実に長い、感慨深いものがありますよ、実際。かば姉には、ずいぶん、それがたとえ表面的の度合いに過ぎないにせよ、たくさんの量だけは、わたしの趣味に付き合ってもらってきたのですねえ、ほんと。忘れていました。そしていつか量は質に変わると信じて、わたしも腐教をして参りました。それにまあ、いわゆるヒューマニティと同情と憐憫の混じった、つまりですね、『優しさ』という分泌物だけは、ほんとうに、かば姉は、通常人類の水準を越えて持っていらっしゃるものですものねえ! これは失礼いたしましたよ、見損ないましたか、わたしを」
  それを聴いて、わたしは急激にほっとした。じつは、友人だけじゃなく、誰か側にいる人間が不安定な状態にあることに、わたしはとっても生理的に耐え切れないんだ。だめなんだ。ほんと、だめなんだよ、優しいとかじゃなくって。こう、助けたいな、とか役に立ちたいな、とかじゃなくって、生理的にだめ。見えるところにいる人が不安定であるのが。そういうの、分かるかなあ?
  「見損なうほどにあんたのことを尊敬していたこともないがね。その量が質に変わってわたしがいつかあんたの趣味に染まるって言うところはあんたの妄想に過ぎないのを指摘しなければいけないけど、すっかり」わたしは応えた。
   しかし確かにその事実は、そのこな絵の言葉は、特に人口6000人の町で発せられるにはあまりにも悲しい事実であり言葉であった。6000分の一の、大事な、大切な、貴重な構成員が、この町の大事な構成物が、人間よりも人形の事を好きなのだね、つまり。あぁ、これは合掌ものの言葉でしょうか? 事実なのでしょうか? それとも必然ですか、システムですか、摂理ですか?
   その時わたしたちは下に下る道に入り、そして蛍の森の道に入り込んだ。入り口に入ると同時に天井まで包み込んだ巨大な樹木の目の前に、光線が幾重にも走っていたのだが、それはもちのろん、蛍だったんだよ、ほんとう、何ていえばいいのかなあ、すっごくなんていえばいいのかなあ。薄い夕闇の中を幾重にも光線が走っていて、それが蛍だったんだよねぇ、ほんとうにまったく。わたしたちは、今まで話していた言葉をすっかりと忘れ去り、ただただ今見えている自然の特別で貴重な造化に眼を凝らすことに夢中になるのだった。それでいいじゃんか、どんなに大事な話をしていたって、この蛍を見て今夢中になることぐらいは許されてしかるべきだよ、そう思わないですか、皆様方。
  こな絵が言った。
  「わたしが人間より人形の事を愛していること・・・」
  そして少し黙って考えた後、もっともなことだが、こな絵はこう言った。
  「その事実はこの広大な宇宙に比べれば実にちっぽけで、実に意味のない、実に無力なことですね。そう思いませんか、かば姉」
  「まったくおっしゃるとおりじゃんか、いわせてもらえば」
  わたしはただ長いだけの相槌を打った。
  「本当に本当のこの宇宙の、真実ありのままで見られた美しい姿に比べれば、わたしたちのことなんて、実にくだらない、実にちっぽけで、空虚な、もう」わたしはただただ光る多数の光線を眼で追うことで夢中になって、途中で自分の言語機能が働かなくなったことすら忘れ去っていたんだよ、それほどの美しさだったんだ、すごかったね。
  こな絵が言った。
  「わたしは唐船峡に行く途中に、偶然のように、かば姉と一緒にこのまさにこの瞬間に蛍を見たという、言うに言われぬ不思議で、必然的で、実にありえないこの出来事を、きっと生涯忘れることなく自分の人生を終えることでしょう」こな絵は続けた。「まさにこの瞬間に蛍を見るときに、そのとなりでかば姉がいて、一緒にこの瞬間を共有していたということは真実ではないでしょうか?」
  こな絵は感激しているように言葉を震わせた。
  「わたしもそう思うよ、あんたの大げさな言葉には驚いたといわざるをえないことを除けば」わたしはそう言った。「わたしもこの瞬間に蛍を見たまさにその時にその体験をともにこな絵と共有していたというその真実を、おそらく死ぬまで忘れずにいつでも思い出せる途方もないこととして頭の片隅にとって置くだろうね、そうじゃんか? かばね」
  わたしは恥ずかしながら自分で自分の名前を呼んでしまっていた。
  「ぷっ」こな絵が吹き出した。ありえないんですけれど・・・
  「ぷっく、ぷくぷく。笑ってしまってごめんなさい、かば姉。そして命の恩人」
  突然こな絵がそんなわけの分からないことを言い出すじゃんか、わたしのほうこそ、吹き出しそうになったよ、ごめんだけど。
  「・・・って、わたしあんたの命を救った記憶なんてこれっぽっちもないんだけれど。もしもわたしが宇宙人にあるときさらわれて記憶を改ざんされていないという仮定の元においてのみ」わたしは言った。「あんた、こなっち、なに言い出すの? いわせてもらえば、意味分からないんだけれど」
   こな絵は、微笑みながら楽しそうに蛍を眼で追いかけていた。
  「ねぇ」
  と言った。
  「ねぇ、かば姉、中学二年のときあたりにわたしがどのような状態だったのか思い出してくださりますか?」本当に幸せそうな顔をして蛍を追いかけているんだよ、この娘。「中学二年の頃にわたしは恐らく本質的な意味で死んでいたのでしょうね」
  そんな幸せそうな顔をして「かつて死んでいた」宣言なんてやめてくれる? なんて言えるような、そんな冗談めいた状況じゃあ、残念ながら、なかったよ。わたしは、覚えていたよ、まったく忘れられるものなら忘れていただろうことは間違いないけど。
  「こなっち、確か、あんときからずっと不眠症なんだっけ? いまでも寝れないのけ?」
  「えぇ。ぜんぜん」うんうん、とこな絵は顔を上下に振った。「ぜんぜんというか、数時間ほど」
  「よく眠くならないねぇ、うらやましいと思うほどなんだけれど」
  わたしは何気にひどいことを言った。
  「ひどーい、のです。でも、許すのです。かば姉はわたしの眠れない苦しみ以外のその他の苦しみも含めて何も知る必要がないのです。だって、そんなことしたら、かば姉に心配かけちゃう!」突然声を張り上げたかと思うと、こな絵が号泣し始めた。しかも眼がパッチリと開いたまま空中をガン見していたのに、そこからとめどもなく涙があふれてくるのだよ、わたしは急に驚いたな。驚いたというよりも、腹も立った。私に言わないでいるたくさんの苦しみを隠していたことが今はっきりと分かったからなんだけれど、当然そういう時人間て腹を立てていいんだよね。だって、するべき、いつかしなければならない、心配をいままとめてしなければならないんだからね。ちゃんとそのつど苦しいときにその苦しさを伝えておけば小出しに心配していくだけで済んだ簡単なことだったのに、こな絵がずっとがまんしていたせいでわたしはいままとめてたくさんの量の心配をしなくちゃならなくなったんだから、当然のように怒っていいんだよね、そうじゃんか、当たり前だよね? 「だって、かば姉・・・ぐず・・・ぐず・・・に心配かけちゃうじゃないか、そんなの、やだよ、やだやだやだ」
  もはや敬語を言えなくなったこな絵をわたしは久しぶりに見たよ。
  「いいがね」わたしは言った。「ぜんぜんいいがね。なにがわるいんか」
   わたしはこな絵の洋服の前の方が汚れていくので、そこをハンカチで拭いた。言ったと思うけれど、わたしはいつでも常にバッグを持ち歩いて過ごす、バッグ族なのですよ、おわかりですか、あなた様方。
   五分後ぐらいに泣き止んだこな絵はこんな話をし始めた。
  「中学二年のあの頃は、です。わたしは幻覚とかも見ていたのですよ。ひどい発作もありました。家中を巨大なねずみのような動物が走り回っていたりしましたし、トイレに入ろうとしたら、壁がわたしを押しつぶそうとしてきたりしました。いえの外とか壁の隙間からはいろいろな生き物とかがわたしのほうへと向かって走ってきたり、ぶつかったりしてきましたよ、怖かったんですよ、アレ、妖怪とか何かなんですか。でも、かば姉さん、そのときわたしを助けてくれましたよねえ? 怖かったあ。でも助かったあ。かば姉、あのころ、あんなにちっちゃい頃からわたしよりはずっと強かったんですよねえ。どうして妖怪を退治することなんかいつ覚えたって言うんですか?」わたしはその話を聞きながら、たぶん、あなたの見たかば姉もまたあなたの見た幻覚なんだよ、とおそらくその正しい事実をとてもじゃないけれども伝えることができなかった、そんなことできるはずがないじゃんか、友達だよ、ギリギリで生きてきているんだ、そしてわたしの大事な友達なんだ。その大事な信念と記憶をわたしは権威と勇気を持って守ろうと誓うよ、まじで。さらに、こな絵は語る。
  「ねぇ? かば姉。かば姉には、本当にいちばんわたしが苦しいときに、側にいてもらったので、まるで、かば姉とは一生分一緒にいたような気持ちになっているんですよ、わたし。それなのに、完全無欠に不可思議なことに、まだまだいまもなお一緒に時をこのように過ごしているなんてわたしのような小物には、圧倒的にすごすぎるのです」こな絵は続けた。「知っていますか? わたしはたいへんちっぽけでくだらない人間なんですよ?」
  「だから」とこな絵は続けた。
  「かば姉はゆらやわたしのような人間に比べ、圧倒的に強くくっきりと存在しているんですよ。ゆらやわたしはうじゃうじゃどこにでもいるようなそんなくだらない人間のうちの一部に過ぎません。でもかば姉は、違う。そんな幽霊のような存在とは違って、水にぬれた赤青黄色の水玉模様のようにあなたはくっきり・はっきりと存在して生きていて暮らしているんです。そんな簡単なことがどうして分からないで、自分を否定してばっかりいるんですか?」
  「べつにわたしは自分を否定していやしないよ、ぜんぜん。いわせてもらえば」わたしはわけが分からなかった。「そして同時にそんなたいそうな存在でもありはしないよ。言わせてもらうけどこな絵はいつも言葉で表現するときにきっとゼロと無限大しか表現できないんじゃないのかな。だからわたしのこともそんなふうに認識を取りこぼすんだな、きっと」
  わたしは、さすがにこな絵のその言葉を肯定するには、ただの取るに足らない非宗教的・非ガンジー的・非マザーテレサ的一般人に過ぎなかったし、そうである自分でじゅうぶんに満足していたよ、そうじゃないかな、そうだといってよ? ねぇ?
  「わたしが一番ひどかった夜のことをわたしはいまだに覚えているんですよ? 眠れずに眠れずに、確か四日間ぐらいずっと起きていたんですよ? その夜に、確か、かば姉は来てくれていますよね? 覚えていますよね?」それは確かに覚えていた。こな絵は錯乱していて、あるいは精神が停止しかかっていた。「そのときかば姉はいろいろな言葉をかけてくれたじゃないですか? その時確かこんな話をしてくれたじゃないですか?」
  確かにそれは覚えていた。こな絵の家にいた。なえでもいた。ゆらもいた。なしおもついてくれていた。そういえばずいたもいたなあ。みんなが揃い踏みというわけだ。わたしたちはその時中学二年生で、こな絵の同級生であり、かつクラスメートだったなあ、そうだったじゃんか。そして途方もない馬鹿だったよねえ?
   こな絵は続けた。
  「今でも鮮明に思い出せるし、今でも何度も自分に向かって問いかけているんですよ、あの質問。かば姉はその質問をわたしにしてくれたときのこと、その内容のこととか全部覚えているのですか?」
  こなえは生き生きとした口調でわたしにそう言った。そして続けた。
  「少年をとっても深く愛しているひとりの少女がいた。その少女は怖くてその思いを告げることができなかった。そこに神様が降ってきて、可能な未来を教えてくれる。つまりですね、少年のところに行って、『あなたのことを愛しています、アイラブユー』と伝えたら、少年は『ぼくもそうだ』と言って答えてくれる、しかしその少女と少年の愛は何らかの障害か出来事によって五年後に必然的に破綻してしまう、そうですよね? そういう話でしたよね、かば姉?」
  そのときますますあたりの夕闇は深くなり、そのように語るこな絵の後ろでは、まるで花火かイスラエルの空中銃撃戦かと言わんばかりに激しく、そして狂おしく、蛍が飛びまわっていたんだよ、何て幻想的だったことか! すごい水の流れる音が聞こえたよ。わたしはまさにそのとき、つまりさ、こな絵がかつての生涯において最も苦しみ、地獄を見たその夜にまさにそこに自分がいて、その話をしたことを覚えていた。
  すごい深い夜だったよ、とりあえず。
  わたしが経験したことのある深い夜の中でもベスト3に入るぐらいに深い夜だったよ。
  「えぇ、こなっち。はっきりとくっきりと覚えているよ?」わたしはそう答えた。
  「わたしは当時にその問いかけにこう答えたことを覚えています。正確であるかはよくわかりませんが・・・」こな絵は思い出すような顔をして、こう続けた。
  「『あなたを愛している、アイラブユー』と少女は少年に伝えるが、五年後に終わるであろうことが分かっているこの愛は幻想に過ぎないとあきらめて生きる」一度止まった。「確かそのような主旨の答えだったと思います。そうでしたか?」
  「まさにそうだった。何の異存もないけど」わたしは答えた。
  「わたしはあれからだいぶ考えましたよ、かば姉の質問が意味する意味を。つまりですね、けっきょくあのとき死を選ぼうとしていたわたしをあの問いかけで変なふうに、奇妙に曲芸的に救い上げてしまおうというのが、かば姉の考えだったんですよね?」
  「そんなに深い意味合いがあれば本当に良かったと思うんだけれど」
  「いいえ、つまりですね、少年と少女の純粋な愛とは、この世の現実を愛して生きることなんですよね? 違いますか? そしてまた、五年後に訪れるであろう必然的な破局とは、全ての人の人生に必ず訪れるであろう必然的な死を意味するんですよね? 違いますか?」
  「まったく違わないね、あんたがそんなにその質問のことが大好きで、そこまで読み取ってくれるだろうと言う予想だけはぜんぜんしていなかったことを除けば」こな絵の頭脳に心底びっくりして、中学生ごときが言ったばかげた質問を何年も何年も脳裏に浮かべて考えてくれたこの恐るべき我が友の執拗さに素直に感服するしかなかった、そうじゃないかなあ? まったくすえおそろしいよ、この娘。ノーベル賞を何個同時に狙ってやがるんだ、ちくしょうめが。そう思いませんか、皆さんは。
  「つまりですね、かば姉のその倫理的問いかけは、倫理的問いかけの外見をしているが、実は、単純な真実、単純なこの世の哲学的真理を概念的に表現したものに過ぎないと言うわけですね?」
  そんなことを中学二年生が言語化できると考えているとしたら、こな絵の漫画脳もたいしたものだと認めざるをえないよ。
  「そんなところまでは考えていなかったよお!」
  わたしは諸手をあげて降参した口調でそう言った。こな絵は言った。
  「そしてその真理とは、この単独者としての人生を生きることとそれに訪れる必然的な死との無限の関係性ですね」
  わたしよりもはるかにつきぬけてんわ、この娘。
   ちょっと食傷気味であるわたしの様子を見たのか、こな絵はちょっとだけ話題を変えた。
  「それはそれとしてですね、いまのわたしだったら、たぶん、このように答えると思うんですよ、聞いていただけますか? かば姉」
  遠くにはもう唐船峡の明かりが見えていた。蛍はもはや背中の方に飛びまわっていた。わたしたちはうねるような登り道を上り終えたのだ。
  「いいがね」わたしは言った。「はよ、言わんかね」
  「童顔なのに巨乳、どじっ娘なのに東大理V、つまりですね、互いに矛盾し相反する要素の共存ですね」なにをおっしゃいますか、この腐女子は。「そういうことですよ、いわゆるカントの二律背反、すなわちアンチノミー」ぜんぜんいわゆらないよ! 「古代ギリシアの最古に属する哲学者パルメニデスはこう言ってます。『在るということが、後に滅ぶなどと言うことがどうして可能だろう。先に生じるということがどうして可能だろう。もし生じたのなら、それは今在るのではなく、またいつか後に在ろうとするのなら、それは今在るのではないからだ。こうして生成は消し去られ、消滅は聞かれなくなった』お分かりですか? 存在するものは滅びることがない、壊れないものであること。この『不壊なるもの』であるという考えを、いわゆるハパップスつまりですね、物事は永劫に唯一一回限りしか起こらないというこの世の真理と結びつけることによって、わたしは少年に愛を伝えたいと思うのです。『あなたを愛している、アイラブユー』そしてもう一度! 『あなたを愛している、アイラブユー』そしてもう一度! そしてわたしは死んでいく、つまりですね、わたしの無限回の愛の告白はその時、パルメニデスが言うことのちょうど反対が起こって、生成の中へ、消滅の中へ、海の中の海、水滴の中の水滴、群衆の中の個人、鏡の中のわたしの鏡、というように、ヴァーチャル・タイムつまりですね、垂直的時間の中でその存在の根拠を失ってしまうのです!」そうこな絵は言った。わたしはこな絵が言っていることの何一つとして理解できなかったが、こな絵が何かとても正しく、とても真理であることをしゃべっているのだろうな、ということをこな絵の口調からただただ読み取っていた。
  「じゃあ、結局、少女は必ず来る破局にどうやって対処するの?」
  わたしは滑稽なことに自分の設定に対して自分で質問していた。こな絵は答えた。
  「どうでもいいことじゃないですか? かば姉。わたしはそういう愛はただただ果てしなく幻想に過ぎないなあ、と思いながらその終末まで少年との愛の事を何一つとして信じることなく、その少年とたぶん仲良く暮らすでしょうね?」
   そのとき、こな絵はにっこりして、言った。
  「さあ、姉さん、もう着きましたよ、流しソーメンを食べましょうね?」
   わたしはここ数日の大変な疲れを依然として感じていた。ところが、それがなんとたわいもないものだったのだろうか、そう思わない? 違わない? そうじゃんかねえ?
   でも、わたしは、疲れよりも今深い充実をかんじているような気がしてならなかったんだよ。
   疲れとか苦しみとかつらさとかそういうものを遥かに越えた深い深い充実した感情が、いま、わたしにおとずれていて、そんなものはどうでもいいようなきぶんになっていたんだよ。だから、
  「こなっち、わたしは、A定食でいい。まったくすごい水の音がする、さむ」
   といいながら、こな絵を見たとき、こな絵が今までのことは何もなかったかのようなひとつの完全な沈黙態のなかにいることに深い満足を感じたといっても、あなたは簡単に分かってくれるよね?
   どうしてこの世の、無力だけれど優しい誰かが、自分の事をいきなり無根拠にいやになったりするのかよく分からないけれども、本当は大好きな相手にわざと嫌われようとするようなまねをするんだろ? 距離をとろうとするんだろう?
   こな絵の質問に対する答えを人生論に翻訳するとこうなる。
  『わたしはこの人生を、その美しさを、その偶然を愛することを選び、必然的に自分に訪れる自分の死まで、生きようとするでしょう。しかしながら、必ず死んでしまうであろうこの自分の人生は、その死んでしまうと言う、自分が虚無になってしまうという事実によって、あってもなくてもどのようにあっても構わない、あるのか、ないのか、どう考えていいのかすらよく分からない幻想的なものになってしまうのです。だからわたしはその人生のなかに墓場の中まで現実性を見つけることができずに死んでいくでしょう。現実性を自分の手の届かないところにあるものとして遥か遠くにあこがれながら死んでいくのでしょう。』
  わたし、かばねは、こな絵は本当はそうじゃないと知っているよ。人に言わせりゃ、現実を見ていないこな絵の人生は、わたしに言わせりゃわたしのじんせいよりよっぽど現実的さ。
  ただ一生理解できないけれども。

 |   |   |   |

▲ページトップへ

文芸同好会 残照